公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団
愛知県埋蔵文化財センター

紀要 論文一覧

紀要 論文一覧

著者名検索はこちらからどうぞ!

愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 27 号(2026年)
研究紀要 27号 全ページ
著者:
ページ:000-182
年:2026
📄 PDFを開く
北設楽郡の縄文集落における植物利用の地域的特性
著者:柳原麻子
ページ:001-010
年:2026
概要:楽郡の豊川水系沿いに分布する縄文集落の植生と植物利用について、土器圧痕の調査結 果と既存の植物遺体分析結果をもとに検討した。北設楽郡の縄文集落は、照葉樹・落葉樹が混交する植生環境のもとで、それらから得た植物質食糧を生業体系に組み込んで成立する。これは西日本の縄文集落に多く見られる植生・植物利用の特徴である。一方で、下延坂遺跡では東日本の縄文集落との関係性の深いシソ属を多量に含む土器圧痕や、マメ類の土器圧痕を認めた。以上のことから、北設楽郡の縄文集落は東日本と西日本の植生・植物利用が交差する中間地点に位置していたと結論付けた。
📄 PDFを開く
三次元計測技術の応用による木器加工痕の基礎的研究
〜『一色青海遺跡Ⅳ』掲載資料から〜
著者:樋上 昇・鶴来航介
ページ:011-020
年:2026
概要:稲沢市一色青海遺跡では弥生時代中期後葉に限定される木器が多く出土している。それらを詳細に観察すると石斧の加工痕より鉄斧による加工痕のほうが優位であることがわかった。ただ、石斧・鉄斧の加工痕について、それを客観的に弁別する「言葉」をまだ有していないのが現状である。そこで本稿では、愛知県埋蔵文化財センターが新たに導入した、キーエンス社製の三次元計測機による加工痕写真を提示して、できうる限り石斧・鉄斧の加工痕の「言語化」を行い、今後の基礎資料とする。
📄 PDFを開く
一色青海遺跡出土遺物の報告
―弥生土器の図化における3D 計測技術の活用―
著者:河嶋優輝・小柳篤史
ページ:021-026
年:2026
概要:一色青海遺跡出土の弥生時代中期後葉の土器の報告に際して、3D スキャナ、フォトグラメトリの2種の3D 計測技術を活用し、比較を行った。結果として、工夫次第により各種調整技法の痕跡はどちらの手法でも確認できたが、調整が重なる場面などでは3D モデルの観察のみでは不十分な箇所もみられた。したがって、事前知識が必要になる部分はあるものの、器形といった大きな情報の把握や作業の効率化においては有用であり、3D 計測技術の活用には、遺物の性質も含めた理解が必要になる。
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土パレススタイル壺・太頸壺のデザイン
著者:蔭山誠一
ページ:027-042
年:2026
概要:愛知県清須市・名古屋市西区の朝日遺跡において、弥生時代後期の遺構から出土した太頸壺の頸部形態と体部形態の分析を行った。その結果、弥生時代後期前葉から後葉にかけてのパレススタイル壺・太頸壺において、体部幅が大きい太頸壺A では頸部形態の外傾化と体部形態の最大幅の位置が比較的低位置に維持される傾向が、体部幅が小さい太頸壺B では頸部形態の外傾化と体部形態の最大幅の位置の高位置への変化の2つの傾向がみられることを指摘した。この2つの傾向を受けて朝日遺跡の出土遺物を代表するパレススタイル壺が形成されることを想定した。
📄 PDFを開く
断夫山古墳の埴輪と須恵器
著者:早野浩二
ページ:043-052
年:2026
概要: 愛知県埋蔵文化財センターによる史跡 断夫山古墳の発掘調査に関連して、各機関が所蔵する埴輪と須恵器の資料調査を実施した。ここにその詳細を報告し、埴輪の構成、大型円筒埴輪の規格、装飾須恵器の器種構成などに新たな知見を追加した。
📄 PDFを開く
古代集落と製塩土器
― 掘立柱建物との関係 ―
著者:永井邦仁
ページ:053-068
年:2026
概要: 愛知県の沿岸部では古墳時代から平安時代にかけて土器を使った製塩が盛んに行われた。そこで堅塩を生産するために用意された製塩土器(焼塩土器)は、河川をゆく舟運によって内陸部へと流通し、その量は知多式4 類の段階である7・8 世紀に急増することが、古代集落遺跡の発掘調査によって明らかにされている。本稿では、各遺跡における製塩土器の出土状況について検討し、その密度から遺跡を分類する視点を示し、その使用から廃棄に集落内の大型建物群に居住する上位階層が関わっていることを確認した。加えて、8 世紀代の掘立柱建物造営に関して、堅塩や製塩土器が儀礼行為に用いられた可能性を示した。
📄 PDFを開く
青山神明遺跡の土坑墓の検討
著者:梶田真由
ページ:069-078
年:2026
概要:本稿は愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査を行なっている青山神明遺跡について取り上げる。本遺跡は西春日井郡豊山町に位置し、2023 年度から2025 年度までの発掘調査の結果、弥生時代から江戸時代かけての遺構や遺物が見つかった。その中で土坑は7,000 基以上見つかっており、深さや平面形に多様性が見られる。さらにこれらの土坑からは様々な遺物も出土している。  そこで本研究では土坑の出土遺物や形を分類し土坑墓の推定を試みた。その結果、一部の土坑が土坑墓の可能性があると指摘した。
📄 PDFを開く
後期清須城下町の復元的研究(2026 年覚書)
―地割と遺構の対比から―
著者:鈴木正貴
ページ:079-098
年:2026
概要: 発掘調査で検出された後期清須城下町に関する遺構群を明治17 年作成の地籍図における街区ごとに整理した結果、①短冊型地割を示す区域では井戸が一列に並ぶ遺構配置、②帯状に水田などを巡らせた方形地割を示す区域では溝で囲まれた方形屋敷の遺構配置、③概略方形地割群を示す区域では溝や井戸が散在し方形屋敷群と推測可能な遺構配置、④城郭中枢部での短冊型地割を示す区域では小規 模な屋敷割が想定できない遺構配置、などがそれぞれ多くなることが分かり、地籍図の地割分類と遺構配置がある程度対応していることがより一層判明した。また、地割分類や遺構配置分類は分布に偏りが確認されることから、未調査区域における遺構配置=城下町構造の推測がある程度は蓋然性が高くなったと評価でき、今後は近世地誌・絵図類の情報を参考にして町名や施設名を推定していくこと が期待される。
📄 PDFを開く
17 世紀尾張の茶入生産窯
〜横須賀御殿窯の再検討から〜
著者:武部真木
ページ:099-100
年:2026
概要:尾張藩の横須賀御殿では二代藩主光友が御庭焼を行っていた。東海市・烏帽子遺跡の調査資料の再検討から、御庭窯の窯体構造について考察するとともに、御庭窯で求められていた茶陶、なかでも茶入の製作環境について探った。17 世紀の尾張の茶入生産窯では、とりわけ効率という面では一般的ではない特異な状況が随所に認められる。武家茶道における当時の瀬戸茶入の評価を背景にした、尾張藩ならではの窯業政策があったと考えられる。
📄 PDFを開く
近世常滑窯における真焼甕類の編年研究
ー近世後半を中心にー
著者:水野領介
ページ:111-130
年:2026
概要:東海地方や江戸遺跡を中心に出土する近世常滑窯製品の編年作業は、本来研究対象となるべき窯跡の大部分が遺存していないという状況があり、困難を極める。それらの課題を解消する糸口となるべく、記念銘資料等によって埋葬年代が判明する真焼甕類について集成・細分類を行った。結果、口縁部の形状によって複数の系統が存在した可能性を示唆するとともに、編年案を提示した。
📄 PDFを開く
西二葉町遺跡の調査からみえる成瀬隼人正中屋敷の様相
著者:川添和暁
ページ:131-150
年:2026
概要:名古屋市東区西二葉町遺跡は、江戸時代の犬山城主成瀬隼人正中屋敷が所在していたことで知られている。これまでの2カ年の調査で、遺跡の構造や場の利用など、屋敷地に関する情報が整理されてきた。一方で、犬山城白帝文庫所蔵の屋敷絵図をはじめ、屋敷地区画絵図など、さまさまな情報が整理されている。本稿では、江戸時代に関するこれまでの調査成果の概要を振り返り、これら諸資料の活用を検証し、合わせて出土遺物についても、ごく一部を紹介した。
📄 PDFを開く
西二葉町遺跡25A 区出土「丸に蔦」軒丸瓦の由来
著者:柳原麻子
ページ:151-156
年:2026
概要:名古屋市東区西二葉町遺跡25A 区の近世の大型土坑や溝から出土した「丸に蔦」軒丸瓦について、その由来を検討した。まず、文様の特徴から成瀬家の定紋とは異なる点、「三河蔦」との類似性を指摘した。さらに、絵図資料と発掘調査成果を基に、瓦が埋没した18 世紀中頃の屋敷地再編に伴い、近隣屋敷から廃棄された可能性を考察した。
📄 PDFを開く
埋文調査組織と人材育成について
著者:中里伸明
ページ:151-162
年:2026
概要:本稿では、複数の埋文調査組織を渡り歩いてきた筆者自身の経験から、各組織の体制を「若手人材育成」を軸にして紹介する。各組織の体制は似て非なるものであり、それぞれ人材育成の観点でも長所・短所がある。また、少子化による人材不足が顕著化し、特に2010 年代以降、若手人材育成に関する問題が表面化している。今後も少子化による若手人材の希少化が確実な中、これからの時代に応じた新たな人材育成の仕組みが必要である。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センターの公開データベースについて
著者:堀木真美子
ページ:163-170
年:2026
概要:愛知県埋蔵文化財センターは、1995 年12 月よりホームページの運用を行っている。このホームページでは、日々の発掘調査やイベント開催の情報発信に加え、報告書や研究紀要、年報などの蓄積された情報を網羅的に提示できるようにデータベースを構築し運用してきた。本論では、従来のシステムの運用上の問題点を整理し、今後の埋蔵文化財の情報整理システムを模索した。
📄 PDFを開く
埋蔵文化財情報のオープンデータ化―課題と展望
著者:茶谷 満
ページ:171-176
年:2026
概要:奈良文化財研究所の「全国文化財総覧」の進展により、発掘調査報告書等の情報の入手性は著しく向上した。一方、愛知県埋蔵文化財センターでは報告書PDF の公開のほか、図・写真等を個別要素化するデータベースを構築しており、高く評価されている。しかし、データ加工及び登録の労力が大きく、更新が停滞しているという課題がある。そこで本稿では、ミニマムなオープンデータとしての公開を提案し、その利活用の展望と課題を整理する。
📄 PDFを開く
SfM/MVS による内部構造の三次元計測における基礎研究
著者:荒木徳人
ページ:177-182
年:2026
概要:本研究ではファイバースコープとSfM/MVS 技術を併用した遺物内部の記録手法の確立に向けた基礎研究として、形状に着目し、技術的課題を明らかにするため、器類を対象に検証実験を行った。本研究の結果から、特定の条件を満たす場合には、ファイバースコープとSfM/MVS 技術を併用することで遺物内部の三次元形状の復元が有効であることが示された。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 26 号(2025年)
後期清須城下町の復元的検討(2025年覚書)
著者:鈴木正貴
ページ:35-50
年:2025
概要:愛知県清須市に所在する清須城は大きく前期と後期に大別され、その構造が検討されてきた。本稿ではこのうちの後期清須城下町の構造を復元するために、これまでに約 11 万平方メートルの発掘調査成果を検討し直し、各調査地点での区画(屋敷)の性格を考察した。この結果、以前筆者が提示した区画分類案(鈴木 1995)では収まりきらない多様な屋敷が存在し、さらなる総括的な検討が必要であることが明らかになった。
📄 PDFを開く
愛知県美浜町下高田遺跡出土の礎板
著者:蔭山誠一
ページ:1-10
年:2025
概要: 美浜町下高田遺跡は、知多半島における弥生文化の状況を示す代表的な遺跡であり、これまでにも 出土した弥生土器や弥生土器の壺に埋納されていたサヌカイトの剥片などについて調査・研究されて きた。近年、筆者は当遺跡出土の木製礎板を調査する機会を得たことから、本稿にその概要を報告し、 愛知県の遺跡で出土した礎板と比較分析した。
📄 PDFを開く
石造文化遺産の非破壊診断調査
~実忠和尚御歯塔の適切な保存方法の検討
著者:荒木徳人
ページ:65-74
年:2025
概要:華厳宗新薬師寺に所在する実忠和尚御歯塔は、数少ない古代石塔の一例である。この石塔は、江戸時代と明治時代に修復されており、当時の修復理念も見られる貴重な石造文化遺産である。しかし、現在は剥離や剥落、真砂土化などの損傷に加え、黒色や茶色の析出物も確認され、構造的不安が懸念されている。本研究では、実忠和尚御歯塔の適切な保存方法を検討するため、非破壊診断調査を行った。
📄 PDFを開く
西二葉町遺跡における明治期以降土地利用変遷史
著者:川添和暁
ページ:25-34
年:2025
概要:名古屋市東区西二葉町遺跡は、江戸時代の犬山城主成瀬隼人正中屋敷が所在していたことで知られている。それに加えて、当地は、愛知県立第一中学校などさまざまな学校が機能していた場所としても知られており、本稿は明治期以降の土地利用を図面記録と発掘調査成果を照らし合わせることで整理する試みを行った。その結果、単に埋蔵文化財調査としての土地利用の変遷を辿ることに留まらず、愛知県下の中等教育・高等教育の様子を窺うことができる、重要資料と認識した。校舎建物の構造や配置の変遷などで、教育機関としての重要性を推し量ることができ、学校教育史の解明にあって、新たなアプローチを提示することができるとの予見を得た。
📄 PDFを開く
設楽町大崎遺跡における中世の水田
~三河山間部地域の開発~
著者:永井邦仁
ページ:51-64
年:2025
概要:設楽町大崎遺跡は、設楽ダム関連の発掘調査によって中世の小規模水田遺構 410 基が確認された。水田遺構は地形や用水路によって大きく 4 群に区分でき、これに遺物の出土分布状況を重ねることによって、各群の形成に時期差のあることが明らかになった。以上の検討から、大崎遺跡では平安時代後期から戦国時代にかけて徐々に耕作地開発が進められたと考えられ、中世における山間部開発の具体的な一例として注目される。
📄 PDFを開く
青山神明遺跡の井戸について
著者:梶田真由
ページ:11-24
年:2025
概要:青山神明遺跡は愛知県西春日井郡豊山町に所在し、2023 年度から発掘調査を行っている。2024 年 度末時点で井戸が 30 基以上検出されており、平面形状や深さには多様性が見られる。遺物は主に中 世陶器が出土している。  そこで本稿では青山神明遺跡で検出された井戸の平面形状や深さを形式的に分類し、遺物から時期 の推定を行った。その結果、時期により深さ異なる可能性を指摘した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 25 号(2024年)
石原遺跡の縄文時代中期前半の竪穴建物跡について
〜北裏C II 式の検討〜
著者:田中 良
ページ:1-10
年:2024
概要:設楽町石原遺跡から検出された、縄文時代中期前半の竪穴建物跡について、平面形態や遺物の垂直分布などから検討を行い、北裏 C Ⅱ式よりも新しい山田平式段階の竪穴建物跡の可能性が高いことを指摘した。
📄 PDFを開く
笹平遺跡出土土器棺墓について
著者:川添和暁
ページ:11-16
年:2024
概要:北設楽郡設楽町内では 、設楽ダム関連の発掘調査で、縄文時代の資料のみならず弥生時代の資料も各所で見つかっており、これからの整理調査・報告で、今後、歴史復元の基礎資料が提供されるものと期待される。各遺跡での様相はさまざまであるため、山間部での場の利用の実態に迫るには、個別事例の比較・検討が必要となると考えられる。本稿では、笹平遺跡の土器棺墓について分析した結果を再度報告・検討する。本資料は、使用されている土器の製作自体が当地域の特色がよく表されている上、使用という側面でも興味深い事例となっている。特殊事例なのかもしれないが、当時の葬送儀礼の一端を考える糸口になることが期待される。
📄 PDFを開く
鹿乗川流域遺跡群と一色青海遺跡出土木材の年輪酸素同位体比データから見えてくるもの
著者:樋上 昇・李 貞・中塚 武
ページ:17-24
年:2024
概要:鹿乗川流域遺跡群と一色青海遺跡出土木材の年輪酸素同位体比年代測定の結果、22 点の木材で年輪最外周の年代が明らかとなった。この結果をもとに、これらの木材が出土した遺跡・遺構の存続期間を再検証するとともに、木材の供給源となった森林における木材伐採の実態を検討した。
📄 PDFを開く
上品野西金地遺跡の陶製灯籠
著者:早野浩二
ページ:25-28
年:2024
概要:瀬戸市上品野西金地遺跡から出土した大窯期前半の錆釉を施した板状の部材について、類例との比較を踏まえ、ここに陶製灯籠として再報告する。それを瓦器と陶器の器種の互換性、瀬戸窯における陶器生産の特質を示す好例とした。
📄 PDFを開く
豊明市大脇城遺跡の検討
- 桶狭間の戦いと梶川五左衛門屋敷 -
著者:永井邦仁
ページ:29-40
年:2024
概要:豊明市に所在する大脇城遺跡は戦国時代の城館遺跡で、梶川五左衛門屋敷とも呼ばれている。当該遺跡は、発掘調査によって方形の主郭を区画する堀や井戸など多数の遺構が検出されている。その調査成果や地籍図との対照から掘立柱建物の分布や屋敷地群の想定を行い、その北縁を廻る薬研堀の溝が近世東海道に対する防御線であった可能性を指摘した。加えて正戸川に面する川湊の要素から知多半島への水上交通に通じていたと考えられる。城主とされる梶川五左衛門が水野家の家臣であることを踏まえると、桶狭間の戦い以降、知多半島に拡大した水野家勢力の最前線になったと評価される。
📄 PDFを開く
新薬師寺に所在する実忠和尚 御歯塔の造立年代について
著者:荒木徳人
ページ:41-52
年:2024
概要:新薬師寺には奈良時代に多くの功績を挙げた僧侶、実忠和尚の歯塔が所在する。この石塔は過去に修復された痕跡があり、造立当初の形は残っていないが、石材や様式など一部、古代石塔の特徴が見られたため、造立年代を推定するため学際的アプローチによる調査を行なった。その結果、文化 13 年、明治 31 年に修復されたことが明らかとなり、平安時代に造立された可能性も示唆することができた。
📄 PDFを開く
発掘調査におけるハインリッヒのドミノ理論
—愛知県埋蔵文化財センターの事例から—
著者:蔭山誠一・渡邉 峻
ページ:53-60
年:2024
概要:本論は、安全衛生活動の基本的文献でされる H.W. ハインリッヒ著の『INDUSTRIAL ACCIDENT PREVENTION』にあるハインリッヒの産業安全の原理を紹介する。そして愛知県埋蔵文化財センターにおける事故事例を分析し、ハインリッヒのドミノ理論の考え方に近い発掘調査現場の安全パトロールの効果との関係を検討する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センターの3Dデータの活用について
著者:堀木真美子・樋上 昇
ページ:61-66
年:2024
概要:近年、文化財の3D データを作成し、活用することが各所で論じられるようになってきている。愛知県埋蔵文化財センターにおいても、遺跡の発掘調査の際や展示会や普及活動において、3D データの活用を進めてきている。本報告では、これまでの3D データの作成状況および活用状況をまとめるとともに、現時点での問題点を提示する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 24 号(2023年)
小折古墳群の研究
̶江南市天王山遺跡の家形埴輪̶
著者:早野浩二
ページ:1-8p
年:2023
概要:小折古墳群中の江南市天王山遺跡(「富士塚の西」)においては、尾張型円筒埴輪と形象埴輪が採集されている。その形象埴輪を鰭状装飾(鰭飾り)を表現する家形埴輪として、類例との比較から推定復元案、製作工程案を示し、時期を東山11 号窯式期から東山10 号窯式期と推定した。村絵図、地籍図や空中写真からは、消滅した前方後円墳の存在が想定され、天王山遺跡(古墳)から、江南市曽本二子山古墳、大口町いわき塚古墳に続く有力古墳の系列を把握した。
📄 PDFを開く
北設楽郡設楽町 添沢遺跡出土の鉄鏃について
著者:河嶋優輝
ページ:9-12
年:2023
概要:北設楽郡設楽町 添沢遺跡では、鉄滓、鞴羽口といった鍛冶関連遺物が自然流路内から出土したほか、同一の流路内から時期不明の鉄鏃1 点も出土しているが、その詳細は未報告であった。  本稿は、観察やX 線写真の検討を通してその形態について推定を行うこと、他の事例との比較検討を通してその位置づけに関して考察を加えることを目的としたものであり、結果として、添沢鉄族は中世初頭のものと位置づけることが妥当であると結論づけた。
📄 PDFを開く
愛知県における戦後埋蔵文化財行政草創期の様相について
著者:川添和暁・加藤安信
ページ:13-22
年:2023
概要:愛知県の県指定史跡を一瞥すると、号数についてやや混乱した状況が見える。これは県主体で始動した埋蔵文化財行政当初時の状況を反映したものと考えられるが、別視点から見ると文化財保護法制定後、愛知県としての文化財保護行政を積極的に推進したことを示す証拠として見ることができよう。
📄 PDFを開く
岡崎市西牧野遺跡におけるナイフ形石器について
著者:社本有弥
ページ:23-26
年:2023
概要:岡崎市に所在する西牧野遺跡は県下で有数の旧石器時代の包含層を持つ遺跡である。当センターと愛知県埋蔵文化財調査センターのそれぞれが調査を行い、旧石器時代遺物の出土を多数確認している。  筆者は遺物の垂直分布から上下で石器群が別れる可能性について検討を行った。今回は上層、下層それぞれの石器群からナイフ形石器を抜き出し、その特徴について検討を行う。
📄 PDFを開く
岩瀬文庫所蔵「清洲図」について
-清須城下町の復元に関連して-
著者:鈴木正貴
ページ:27-38
年:2023
概要:西尾市岩瀬文庫所蔵「清洲図」は岡田啓(康礼)が天保年間末頃に模写した図で、清洲宿を含めた美濃街道を中心に描かれた図に清須城に関連する故地が書き込まれたものである。これについて、近世後期に制作された清洲に関する地誌類や絵図類などと比較・検討した。この結果、清須城に関する故地の調査は『張州府志』を嚆矢とし19 世紀前半に研究が進んだことが判明したが、これらの記述は廃城から200 年以上経過しており、大いに参考になるもののその信憑性にはやや疑問が残るものとい える。
📄 PDFを開く
小牧城下町上御園遺跡の鍛冶工房の系譜
-鞴の羽口から-
著者:蔭山誠一
ページ:39-48
年:2023
概要:東海地域における古墳時代から近代にかけての遺跡出土の鞴の羽口について素材と形態(羽口送風孔の孔径)から分類し、地域性の抽出と変遷を辿った。また鞴の羽口と一緒に出土する金属製品生産関連遺物の組み合わせと出土した碗型滓など鉄滓の金属学的分析から、小牧城下町上御園遺跡出土の鍛冶工房が美濃地域からの影響を受けたものであることを指摘した。
📄 PDFを開く
中狭間遺跡出土赤色顔料の蛍光X線分析
著者:堀木真美子
ページ:49-52
年:2023
概要:安城市中狭間遺跡22A 区から出土した台石および片口鉢に付着する赤色顔料について、蛍光X 線分析を実施した。その結果、台石と片口鉢に付着した赤色顔料より水銀が検出された。
📄 PDFを開く
三河地域の縄文時代竪穴建物跡の比較・分析
著者:渡邉 峻
ページ:53-58
年:2023
概要:設楽ダム関連事業によって新たに発掘された縄文時代竪穴建物跡のデータを加えて、三河地域の縄文時代竪穴建物跡の比較・分析を行い、地域差などの検討を行う。
📄 PDFを開く
九州地域の縄文時代貝輪について九州地域の縄文時代貝輪について
̶東海地域からの視点̶
著者:川添和暁
ページ:59-76
年:2023
概要:九州地域の縄文時代・弥生時代では、貝輪風習が盛行する。本稿では、縄文時代の貝輪資料に焦点を当て、貝輪群の構造性を把握し、九州地域における縄文時代社会の共通性と地域性を追究する。地域・時期により主体となる貝種が異なることに加えて、ベンケイガイ製とフネガイ科製については独特な加工・装飾を施す事例が出現することを確認した。貝輪は女性との関係性が強い資料であることから、上記を指標とする貝輪群の範囲は、女性側の事情を色濃く示す当時の社会小地域を反映したものと考えられる。また、後期前葉を主体する九州地域から晩期を主体とする吉備地域・東海地域で出現する 多数着装事例の出現は、現象の共通性の一方で、着装者の当時の社会的位置について各地域での位置づけが必要であるとした
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 23 号(2022年)
南知多町天神山遺跡の紅村弘氏保管資料について
著者:増子康眞・川添和暁
ページ:1-30
年:2022
概要: 南知多町所在の天神山遺跡は、縄文時代早期末土器の標識遺跡として広く知られている。しかし、当時の調査記録がほとんど残されておらず、発掘調査の様子を追検証するには限界があった。そうしたなか、故紅村弘氏の保管資料のなかに、当時の調査の様子が窺えられる記録の一部が保管されていることが明らかとなり、経緯を含めて本誌に掲載することとなった。遺跡形成をはじめとする天神山遺跡の実態を解明する手掛かりになりうる資料から派生する意義について、主に土器について論じた。
📄 PDFを開く
尾張国冨田荘絵図に描かれた建物と海
~中世冨田荘周辺の古地理と遺跡~
著者:蔭山誠一・鬼頭 剛
ページ:63-84
年:2022
概要:神奈川県鎌倉市円覚寺所蔵『尾張国冨田荘絵図』に描かれている名古屋市中川区戸田地区における古地理の解析と遺跡の調査成果について検討した。その結果、絵図に描かれた河道の流れや道路・堤防の位置を想定し、建物や海岸が描かれた意図の一端を示すことができた。
📄 PDFを開く
岡崎市西牧野遺跡における旧石器時代の一考察
著者:社本有弥
ページ:51-56
年:2022
概要:岡崎市に所在する西牧野遺跡は県下で有数の旧石器時代の包含層を持つ遺跡である。当センターと愛知県埋蔵文化財調査センターのそれぞれが調査を行い、旧石器時代遺物の出土を多数確認している。しかしながら、この遺跡についての研究は少なく、未だ愛知県内での位置付けもはっきりしていない状態である。そこで、西牧野遺跡の旧石器時代の様相を解き明かすために遺物の分布から時期の検討を行うものである。
📄 PDFを開く
清須城本丸出土の木製刀形について
著者:鈴木正貴
ページ:35-40
年:2022
概要: 清須城本丸東側の部分の発掘調査では木製刀形が出土していたが、これまでに報告書を含めて全く資料紹介されていなかった。本稿はこの木製刀形の資料紹介を行うとともに、鍬先の出土状況も加味して、清須城本丸普請における祭祀行為が存在した可能性を指摘した。
📄 PDFを開く
紀年銘箱書と阿蘭陀焼 資料紹介01
~松浦コレクションから~
著者:武部真木・堀木真美子
ページ:41-50
年:2022
概要:「阿蘭陀焼」とは、長崎出島へオランダ船(連合オランダ東インド会社)が運んできたやきものをいう総称名詞である。日本で古美術品として扱われているプリントウェアは 1800 年~ 1860 年頃の鎖国期に伝来したもので、出土資料には 18 世紀末~ 1870 年頃に製作されたものが多い。これらは欧州で普及品として量産された製品であったが、伝来した日本では茶器として高く評価されたこともあり、今日まで所蔵されてきた資料も数多く存在する。  紀年銘箱書をもつ資料(個人蔵)に接する機会に恵まれたことで、考古学資料との比較を目的とした資料調査・分析を行うことができた。今回の資料群にはイギリス(アダムス/ W. ブラウンフィールド)とオランダ(ペトゥルス・レグゥー)の製作窯の製品が含まれ、箱単位で一見組物とみられる同一文様のプリントであっても、素地の形状や刻印などでは差異が抽出された。
📄 PDFを開く
設楽町の縄文時代 竪穴建物跡の比較・分析
著者:渡邉 峻
ページ:57-62
年:2022
概要: 設楽ダム関連事業によって新たに発掘された縄文時代竪穴建物跡について時期ごとの棟数、形、面積、付属施設、儀礼等のデータをまとめ、その変遷を分析した。
📄 PDFを開く
設楽町川向東貝津遺跡出土の礫器についての再検討
~縄文時代の礫器について~
著者:田中 良
ページ:31-34
年:2022
概要: 設楽町川向東貝津遺跡から出土した礫器について、再分類を試みた。その結果、27 点中 24 点が石核となった。石核は、剥片剥離を一方向ないし二方向から行う一群 (a・b 群 ) と周縁から行う一群 (c 群 )に分類できる。これらの石核に共通しているのは、礫形状大きく変えない程度の剥片剥離作業で終了している点と、作出された剥片は、剥片石器として加工されない点である。また、礫器とした 1 点には、潰れが認められた。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 22 号(2021年)
設楽町津具の大根平遺跡・鞍船遺跡について
著者:川添和暁
ページ:1-16
年:2021
概要: 設楽町津具の大根平遺跡と鞍船遺跡について、調査記録などから、調査の経過と遺跡の様相について検討した。県内の縄文時代遺跡としては、文化財保護法に基づく初期の頃の発掘調査であるが、今日的に見ても興味深い考古学的成果が出されており、貴重な調査事例として紹介するものである。
📄 PDFを開く
遠賀川系土器の黒色物質の脂質分析と塗布方法の考察
著者:岡安雅彦・宮田佳樹・竹原弘展・堀木真美子
ページ:17-28
年:2021
概要:遠賀川系土器にみられる黒色の塗布物質については、以前よりその物質を特定するための分析がいくつか行われてきた。しかし、明確にその材料を特定できたものはなく、さらに塗布方法について言及されることはなかった。今回は春日井市より松河戸遺跡の資料提供を受け、塗布された黒色物質について、残存脂質分析や SEM による観察を行い、塗布方法の再現実験を行なった。また実験によって生成した黒色物質についても、同じ分析を行い、塗布方法の検証を行なった。
📄 PDFを開く
古代から中世における矢作川下流域の河道変遷
著者:鈴木正貴
ページ:29-44
年:2021
概要:矢作川下流域(現西尾市域)での古代から中世における河川の様相を解明するため、明治 24 年作成地形図から河道痕跡を抽出し、遺跡や遺物の分布などからその変遷を考察した。その結果、古代においては岡崎市正名町から西尾市野々宮町・市子町に至る大流路が1条存在し、周辺に複数の小河川が展開したと想定した。中世になると、陸地化が進みさらに多くの小河川が流れるとともに西尾市小島町から西尾市一色町赤羽に至る大流路(旧弓取川)が1条追加されたと推定される。14 世紀末に六名堤が築堤された影響で後者の大流路が主流となっていくが、16 世紀初頭においても細池の渡と鎌谷の渡が併存していることから、2 条の大流路が存在したと復元できる。
📄 PDFを開く
安城市鹿乗川流域の旧河道
-遺跡群共通の遺物包含層「K層」-
著者:永井邦仁
ページ:45-56
年:2021
概要:愛知県安城市東部の沖積低地にある鹿乗川では、その流域に弥生時代〜中世の遺跡が集中する。これまでの発掘調査で蛇行する鹿乗川の旧河道が検出され、堆積状況と出土遺物によって平安時代中期までに完全に埋没してその跡地が小区画水田に利用されていることが明らかになってきた。  本稿では、耕作地化によって生じた中世以前の遺物を包含する黒褐色系土層が鹿乗川流域の一帯に広がっていることを確認し、これを遺跡分布範囲の手がかりとすべく「K 層」と呼ぶことを提案した。
📄 PDFを開く
清洲城下町遺跡における非鉄金属製品生産
著者:蔭山誠一・堀木真美子・沓名貴彦・鈴木正貴
ページ:57-74
年:2021
概要:清洲城下町遺跡出土の非鉄金属製品生産関連資料である椀型坩堝、把手付坩堝・蓋の遺跡全体の分布状況を確認し、一部の調査区においては全ての金属製品生産関連資料との詳細な出土分布の検討を行った。また、椀型坩堝と取手付坩堝・蓋について形態と使用状況から分類し、透過 X 線写真撮影や蛍光 X 線分析を実施した。その結果椀型坩堝と取手付坩堝・蓋について、分布状況と確認された金属の違いにより銅細工に関わる 2 つの技術が想定され、それを担う工人が存在したことを指摘した。
📄 PDFを開く
清洲城下町遺跡出土金属製品の分析
—平成20年度清須市調査出土品の検討 —
著者:鈴木恵介
ページ:75-78
年:2021
概要: 近年、非鉄金属製品の研究は科学分析によって大きく進歩し、従来の肉眼による観察に比べれば格段に多くの情報が提供されるようになった。特に蛍光 X 線分析や X 線画像解析は、材質や製作技法の判断において欠かせないものとなった。過去の調査で出土した遺物には、様々な理由からこれらの分析を行えなかったものがあり、再度分析を行なったところ新たな事実が判明する場合もある。今回は清須市教育委員会が平成 20 年度に発掘調査を行い、未分析であった清洲城下町遺跡出土品について分析結果を報告し、合わせて実測を行なった遺物を紹介する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 21 号(2020年)
鹿乗川流域遺跡群南群の検討(2)
著者:宮腰健司
ページ:1-14
年:2020
概要: 鹿乗川流域遺跡群南群の弥生時代〜古墳時代前期の遺構についての検討を行い、大型墓を含む墓域を伴う下懸遺跡、大型区画・竪穴建物を伴う寄島・姫下遺跡の変遷を考察した。
📄 PDFを開く
愛知県の古代寺院における造営尺度の推定
著者:河嶋優輝
ページ:15-22
年:2020
概要:古代寺院の造営尺度に関する研究は長い研究史を持ち、計量史学や建築学などとも関わりを持つが、未だ完全には解き明かされておらず、唐尺、高麗尺、高麗尺7寸5分など様々な長さの単位が造営尺度として取り上げられてきた。本稿は、古墳の墳丘企画尺度の推定に用いられる統計学的な手法を利用して愛知県下の古代寺院5ヶ寺6ヶ所の建物跡の造営尺度推定を試みたもので、結果、大部分の建物跡で唐尺の使用が推定されたが、高麗尺7寸5分を1単位としたと思われる建物跡も存在した。
📄 PDFを開く
尾張の古代官衙遺跡をかんがえる
−稲沢市北丹波・東流遺跡の検討−
著者:永井宏幸
ページ:23-40
年:2020
概要:稲沢市北丹波・東流遺跡は、尾張国府成立頃の8世紀第1四半世紀を中心とする遺構と遺物がまとまって確認された。遺跡は尾張国府中枢部へつながる「想定・東山道尾張路」の東西路付近に位置し、正方位指向の軸線上に遺構が展開する。本稿は、これら遺構と遺物を通して官衙的性格を導き出し、『続日本紀』に登場する国司笠朝臣麻呂に関連する記事と調査成果をあわせてかんがえてみたい。
📄 PDFを開く
近世城下町の形成過程
—地割からみた小牧城下町の成立をめぐって—
著者:鈴木正貴
ページ:41-56
年:2020
概要:尾張の中世集落は屋敷の集合体として成立し、その構造は町場の取り込み方によって変遷している。そして、初めて長方形街区に短冊型地割の町屋が展開した小牧城下町は、近世城下町の嚆矢として位置付けられる。この小牧城下町に先立つ周辺の一般集落遺跡や町場を含む都市遺跡の地割を検討した結果、小牧城下町と地割が完全に一致する事例は発見されなかった。しかし、概略方格地割に土地を区分して屋敷を配置する形と、街道や岸に沿って線的に広がる町場との設置原理の異なるものを組み合わせたものであった可能性を指摘できた。これは、織田信長が武家を中心とする集落内部に構造を伴う形で町場を取り込んだものと考えられ、居館―武家屋敷―町場を一元的に掌握する構造に転換するため、旧来からある要素をその場で組み合わせてできたものが小牧城下町ではないかと推定した。
📄 PDFを開く
豊田市下山地区における炭焼窯跡の再検討
著者:伊奈和彦*・蔭山誠一(* 愛知県埋蔵文化財調査センター)
ページ:57-74
年:2020
概要:愛知県豊田市下山田代町・田折町を中心とする豊田・岡崎地区研究開発施設用地造成事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査で確認された炭焼窯跡の形態の変遷とその歴史的背景を考えた。煙道のある炭焼窯跡Ⅰ類の燃焼室床面の平面形態の変化や床面勾配の変化は、当地域で活躍された製炭者の民俗調査記録の姿と対応する現象として考えられた。また煙道のない炭焼窯跡Ⅱ類については、遺跡における分布の密集度や出土した炭化材の樹種同定や年代測定結果を検討し、生産された炭の用途については鍛治炭にもなる可能性を指摘した。
📄 PDFを開く
近世尾張のやきもの 資料紹介2
— 豊楽焼(初代利慶) 不二香合 —
著者:武部真木
ページ:75-76
年:2020
概要:近世尾張藩のやきものとの関係は、古くからの窯業地を含むこともあり他地域にみられない特異なものがある。藩制下の産業への強い関与はもとより、特に茶陶への関心が高い藩主は直接御庭窯を経営した。ここでは江戸時代後期に藩の御用をつとめた豊楽焼の資料として、製作年代の推定できる初代利慶の作品について紹介する。
📄 PDFを開く
山形県東根市蟹沢遺跡出土骨角器について
著者:川添和暁
ページ:77-78
年:2020
概要:東海地域の縄文時代・弥生時代骨角器との比較検討をするため、山形県蟹沢遺跡出土資料の調査をする機会を得た。本稿では、特に腰飾りと固定銛(逆棘付刺突具)について取り上げる。腰飾りは蟹沢遺跡を象徴する資料として古くから知られているものであり、固定銛(逆棘付刺突具)は内陸部の遺跡で出土した数少ない事例として注目される。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 20 号(2019年)
縄文時代草創期における狩猟具の変遷
-東海・近畿地方と信越地方の比較から-
著者:田中 良 
ページ: 1-10
年:2019
概要:東海・近畿地方では出土資料の制約もあり、草創期の編年研究があまりおこなわれて来なかった。 本論文はそうした中で、遺物の豊富な信越地方との比較から東海・近畿地方の編年を試案した。その 結果、東海・近畿地方の草創期の一端を垣間見ることができた。また、それまであまり議論されてこ なかった新旧関係以外の文化的な要素も明らかにすることができた。
📄 PDFを開く
市場口遺跡出土石器群の研究
著者:川合 剛※・平井義敏※※・堀木真美子・川添和暁(※名古屋市博物館 ※※みよし市歴史民俗資料館)
ページ: 11-28
年:2019
概要:設楽町市場口遺跡では、以前から後期旧石器時代石器群の出土が知られている。その石器群の石材 は黒曜石が主体であると言われながら、内容の実態は不明と言わざるを得なかった。今回、石器群に ついて全点の図化を行うとともに、資料の位置づけについて、今日的分析を行った。
📄 PDFを開く
下高田遺跡出土サヌカイト接合資料について
著者:川添和暁
ページ:29-38
年:2019
概要:美浜町下高田遺跡では、以前からサヌカイトの剥片が入れられた弥生土器の壺が報告されていた。 近年、筆者は当該資料を調査する機会を得たことから、本稿に遺物の詳細を報告する次第である。本 事例は、伊勢湾岸を挟んだ石材流通の一端を見るのみならず、弥生時代の剥片石器石材の扱われ方に ついて、指標となる事例といえよう。
📄 PDFを開く
鹿乗川流域遺跡群南群の検討(1)
著者:宮腰健司
ページ: 29-48
年:2019
概要:鹿乗川流域遺跡群南群の古代~中世の遺構について検討を行った。最南端にある惣作遺跡では溝で 区画されたエリアがあり、出土遺物から木簡の使用や木器・銅器製作が考えられ、寺領廃寺との関連 が想定できる。それ以外の地区では居住域と耕作地(水田・畑)が組み合わさったエリアが散在する。
📄 PDFを開く
名古屋城三の丸遺跡の古代集落
−熱田台地の古代集落と愛智郡・山田郡(1)−
著者:永井邦仁
ページ: 49-60
年:2019
概要:愛知県名古屋市には名古屋城を北西隅に戴く熱田台地がある。名古屋城とその城下町として江戸時 代から現代へと繁栄を続けるこの街には、1000 年以上前にも多数の集落が蟠踞し、地域の拠点とし て機能していた。この熱田台地には尾張国の山田郡と愛智郡が関係しており、それぞれの領域で占め られていたはずであるが、その境界については定説をみない。本稿ではまず郡境設定時の集落の状況 を検討し、その鍵が名古屋城三の丸遺跡にあるのではないかと推察する。
📄 PDFを開く
清須城出土金箔押軒瓦の基礎的整理
著者:鈴木正貴
ページ:61-74
年:2019
概要:本稿では清須城から出土した金箔押軒瓦について、金箔の状態や施された位置などを整理して、瓦 当面紋様の型式分類による相違をまとめた。その結果、大部分の瓦は凸面金箔が施されていたが、相 対的に古いと考えられてきた軒丸瓦 M151 型式と軒平瓦 H111 型式などで凹面金箔が押されているこ とが明瞭となった。
📄 PDFを開く
下山の炭焼き実験
著者:伊奈和彦*・蔭山誠一 (* 愛知県埋蔵文化財調査センター)
ページ:75-84
年:2019
概要:愛知県豊田市下山地区における発掘調査では、炭焼窯と考えられる煙道がない土坑状の窯跡が多数 確認された。本論は、その炭焼窯跡の使用方法や歴史的役割を検討するために、平成 26 年に実施し た炭焼き実験の報告である。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 19 号(2018年)
南知多町天神山遺跡の調査メモについて
著者:小澤一弘*・川添和暁(* 愛知県埋蔵文化財センター専門委員)
ページ: 1-8
年:2018
概要:南知多町所在の天神山遺跡は、縄文時代早期末土器の標識遺跡として広く知られている。天神山遺 跡の調査は知多半島で最も早い時期に行われた学術調査であったこともあり、調査の内容については 文字記載で示されているもののみであった。この度、調査当時のメモを報告することによって、その 記載内容を模式図として確認することができた。この情報により、天神山遺跡の堆積状況を可視的に 検討できるとともに、今後、出土状況を勘案して遺物検討ができるものと期待されるものである。
📄 PDFを開く
大名倉遺跡の研究
著者:永井邦仁・川添和暁
ページ:9-30
年:2018
概要:愛知県北設楽郡設楽町に所在する大名倉遺跡は、縄文時代早期~晩期の土器や石器が出土する集落 遺跡として東海地域で屈指の存在である。本遺跡では、大正年間から地元で続けられてきた遺物の地 表面採集や早稲田大学による発掘調査を経て、近年には愛知県埋蔵文化財センターが 223 か所の試掘 トレンチによる範囲確認調査がなされている。本稿では主に範囲確認調査から得られた地層や地形の データと出土遺物の検討によって、縄文時代遺跡の立地に関する見通しを得ることができた。
📄 PDFを開く
志賀公園遺跡の初期須恵器
著者:早野浩二
ページ:31-46
年:2018
概要:本論においては、志賀公園遺跡の初期須恵器に対する評価を改めて整理した。その結果、正木町遺跡・ 伊勢山中学校遺跡の初期須恵器を含めた時期、系譜にかかる位置に議論の余地が多いことが判明した。 また、円窓付壷(脚付壷)を比較検討し、その製作系譜の一端を示した。
📄 PDFを開く
古墳時代後期ガラス小玉の製作技法 その 3
̶東三河2遺跡、西三河1遺跡の分析̶̶̶
著者:鈴木恵介・堀木真美子
ページ:47-54
年:2018
概要:古墳時代後期のガラス小玉の製作技法や組成について、新たに東三河2遺跡(蒲郡市平古古墳、同 市竹谷城古墳)と西三河1遺跡(豊田市キヨツカ 2 号墳)出土分の分析を行った。これらの資料は、 すでに報告されているものである。今回の分析も、これまでと同様に形状、組織、蛍光 X 線分析装置 による分析を行った。今回の分析によって、西三河から東三河にかけて8遺跡の資料を網羅すること ができた。また、時期による製作技法の差を明らかにすることができた。また化学組成値には違いが 認めれるもその違いの要因を掴むことはできなかった。
📄 PDFを開く
鳥の子皿稿
̶伝世した白磁の皿̶̶̶̶
著者:小澤一弘 *・堀木真美子(* 愛知県埋蔵文化財セター専門委員)
ページ:55-78
年:2018
概要:中国宋代の定窯の白磁に倣った白磁を、茶人が淡黄色で光沢のある白い鶏卵に似ていることから「鳥 の子手」「鳥子」と称した。伝世した白磁の皿より「鳥の子」製品について検討した。『策彦入明記』 と茶会記から「トリ皿」にはじまり「鳥皿」「鳥の子」への名称の変遷をたどり、遺跡出土品と茶会 記から天正年間以前に「鳥の子」が存在していたことをあきらかにするとともに、名称では天文 16 年頃にさかのぼる可能性があることを推察した。今回紹介した伝世品の釉薬や覆輪などの蛍光 X 線分析を行った。その結果、覆輪が真鍮製であることが判明した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 18 号(2017年)
鹿乗川流域遺跡群における「方形周溝墓」の再検討
著者:早野 浩二
ページ:1-14
年:2017
概要:本論では不安定な検出事例が多い鹿乗川流域遺跡群の「方形周溝墓」を再検討し、遺跡群におけ る方形周溝墓の築造状況、墓域の構成を改めて整理した。その結果、弥生時代中期後葉には開始さ れた方形周溝墓の築造は、弥生時代後期に継続するものの、弥生時代終末期には築造数が減少し、 古墳時代前期初頭以降、築造が著しく低調化することを明らかにした。また、墓域は各遺跡群中の 各居住域に付随するというより、遺跡群の「北群」と「南群」にそれぞれ偏在することを示した。 それらを踏まえ、遺跡群の動態における精確な把握、周辺地域との比較検討を今後の指針とした。
📄 PDFを開く
安城市寄島遺跡における古墳時代前期の集落
著者:永井邦仁
ページ:15-21
年:2017
概要:鹿乗川流域遺跡群南部の一角を占める寄島遺跡において、古墳時代初頭~前期にかけての竪穴建 物を中心とする集落景観について考察した。竪穴建物の周溝状床下施設の有無が、集落変遷の画期 を見通す鍵になると考えられる。
📄 PDFを開く
東海市松崎遺跡出土製塩土器の圧痕分析
著者:川添和暁・佐々木由香 ※ 米 田恭子 ※・バンダリ スダル シャン ※(※ 株式会社 パレオ・ラボ)
ページ:22-38
年:2017
概要:知多式製塩土器の標識遺跡である、松崎遺跡出土製塩土器について、圧痕の調査を行った。 本稿では、その中で種実(種子)の可能性が高い試料について中心に取り上げ、SEM 画像撮 影の上、種の同定を行った。検出された種実では、イネ関係のものが圧倒的に多いことを確 認した上で、圧痕の位置・向き・深さ・圧痕形成のタイミングなどを勘案して、製塩土器に 認められる圧痕の意味について、若干の考察を行った。
📄 PDFを開く
古代・中世における野間の歴史的景観
著者:蔭山誠一・永井邦仁
ページ:39-58
年:2017
概要:愛知県知多郡美浜町に所在する権六遺跡の発掘調査成果をもとに、同町にある下高田遺跡・ 下高田丸山遺跡の遺構と出土遺物を調査し、古代から中世にかけての周辺地域の遺跡の再検討、 および明治 17 年作成の地籍図の土地利用からの地形変遷の分析を行った。その結果、製塩遺跡 があり、木簡にみられる調塩も行われた古代の景観と、大御堂寺などの寺院創建があり、丘陵 部において窯業生産が営まれる中世の景観、野間船や内海船などの海運が盛んな中世後期から 江戸時代にかけての景観とそこで営まれた交易の変遷を示した。
📄 PDFを開く
守護所下津の景観復元を考察する(2017 年覚書)
著者:鈴木正貴
ページ:59-74
年:2017
概要:下津宿遺跡の発掘調査を受け、守護所下津について明治 17 年作成地籍図にみられる情報を駆 使して景観復元的な研究を実施した。地形復元、寺院の分布、地割の分析、発掘調査成果から みる空間的特質などの検討を行い、下津は異なる時期に成立した複数の基軸をもつ複雑な都市 景観であったことが推定された。
📄 PDFを開く
近世尾張のやきもの資料紹介
— 正木焼 紀年銘資料 —
著者:武部真木
ページ:75-78
年:2017
概要:近世尾張藩のやきものとの関係は、古くからの窯業地を含むこともあり他地域にみられない 特異なものがある。藩制下の産業への強い関与はもとより、特に茶陶への関心が高い藩主は直 接御庭窯を経営した。『をはりの花』には、藩主をはじめ職業的工人ではない 30 名以上の藩士・ 茶人などが卓越した作陶家として記されている。ここでは尾張藩士であった正木惣三郎と子伊 織の制作による「正木焼」のうち、紀年銘をもつ作品を紹介する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 17 号(2016年)
考古学に関わる自然科学はいかにして「科学」たりうるか
―古地震を例にした検証の必要性―
著者:鬼頭 剛
ページ:1-10
年:2016
概要:愛知県清須市の清洲城下町遺跡において西暦1586 年の「天正地震」に伴うとされた地震痕について発生時期の検討を行なった。震源地震を特定できない可能性があり、考古遺跡でみられる地震痕を地質学、とくに層序学・堆積学的に捉えると報告される古地震情報には検討の余地を感じる。考古遺跡から発信される地震痕について検証の必要性を問う。
📄 PDFを開く
縄文時代後晩期における剥片石器石材について
―尾張・三河地域の剥片石核類から―
著者:川添和暁
ページ:11-30
年:2016
概要:本稿は、剝片石器石材を論じるため、剝片石核類に焦点を当てて概観したものである。原産地および流通経路などの研究が進む下呂石・サヌカイト・黒曜石・設楽安山岩(只持安山岩)などを取り上げ、残存法量および剝片作出の様子などを観察した。その結果、縄文時代中期後半の黒曜石で見られる現 象に対比して、縄文時代後期中葉頃では、特定遺跡において、各種石材の剝片・石核が大型の石塊として遺跡内に残される事例があることを指摘した。また、下呂石角礫の剝片については、縄文時代晩期前半を中心として石鏃製作とは無関係に剝片がもたらされている事例も明らかにした。
📄 PDFを開く
尾張平野における縄文文化より弥生文化への移行過程
著者:永井宏幸
ページ:31-38
年:2016
概要:本稿は、壺形土器の組成比率から農耕文化の成立をかんがえる。縄文から弥生への移行過程をかんがえるとき、大型壺の成立が大きく関与していることは従来から指摘されている。しかしながら、大型壺を含め壺が土器組成全体のなかでどのくらいの比率であるか、あるいは壺の比率がどう変遷するのか、その移行過程を各地域で論ずることは少なかった。本稿では、尾張平野の4つ遺跡(山中遺跡・三ツ井遺跡・月縄手遺跡・朝日遺跡)をとりあげる。あわせて、これら4つの遺跡を検討する中で派生する問題点について指摘した。
📄 PDFを開く
方形周溝墓の時期決定をめぐる二、三の問題
— 伊勢湾岸域を中心として —
著者:石黒立人
ページ:39-48
年:2016
概要:伊勢湾岸域の方形周溝墓は弥生前期に出現するとこれまで考えられてきた。しかし、山中遺跡他の報告を検討すると積極的な根拠は見出せず、むしろ時期判定が困難である事が明らかになった。また、それに関連して他遺跡の事例についても調査方法や報告にまつわる恣意的な判断が浮き彫りになった。調査事実の客観性を如何に保つのか、あるいは無理な判断を如何に避けるのか、それが大きく問われることを指摘した。
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土木製品の出土地点および器種・樹種組成についての再検討
著者:樋上 昇
ページ:49-60
年:2016
概要:『朝日遺跡Ⅶ』で筆者が報告・分析して以降、2004 ~ 2007 年度の発掘調査で、さらに429 点もの木製品が出土した。これをうけて、本稿では1511 点におよぶ朝日遺跡出土木製品を、出土地点・器種組成・樹種組成の変遷と器種・樹種の相関関係の視点で新たに分析し直した。
📄 PDFを開く
「柳ケ坪型土器」について
著者:宮腰健司
ページ:61-68
年:2016
概要:有段口縁壺の内外面に羽状刺突を施された土器が「柳ケ坪型土器」として初めて認識されたのは1952 年の柳ケ坪遺跡の調査であった。その後事例は増え、名称も定着してきた。本稿では柳ケ坪型土器の要素のひとつである口縁部の内外面刺突に着目し、定義や分類・変遷・分布といった基礎的な問題について整理した
📄 PDFを開く
東三河の淡輪系円筒埴輪
―豊川市石堂野B遺跡出土円筒埴輪の再検討―
著者:早野浩二
ページ:69-86
年:2016
概要:豊川市石堂野B遺跡の古墳時代の遺構と遺物を再検討し、TK47 型式期からMT15 型式期、5世紀末葉から6世紀初頭の径12m の円墳(または方11m の方墳)に淡輪系円筒埴輪が用いられていることを明らかにした。併せて近在する船山古墳に石堂野B遺跡と類似する淡輪系埴輪が採用されていたことを示し、同一の生産窯から埴輪が供給されていたことをも推測した。また、小古墳に淡輪系埴輪が採用される状況と須恵器系埴輪の供給関係についても一定の見通しを示した。
📄 PDFを開く
古墳時代後期ガラス小玉の製作技法 その2
 —東三河2遺跡の分析—
著者:鈴木恵介・堀木真美子
ページ:87-98
年:2016
概要:古墳時代後期のガラス小玉製作技法については、近年各地で調査・分析が進んでいる。なかでも鋳型によって製作されたガラス小玉については、製作を行った鋳型の完形品が発見された話題もある。本稿では、あらたに東三河地域の相生塚古墳、稲荷山1 号墳から出土したガラス小玉の成分の分析と製作技法の分類を行い、これまでに分析を行った他の事例との比較を行った。
📄 PDFを開く
八巻古窯群の木葉状線刻(木葉圧痕)について
著者:池本正明
ページ:99-108
年:2016
概要: 東浦町八巻古窯群では、碗の内底部に木葉状線刻(木葉圧痕)を施す事例が40 点以上出土している。本稿ではこれらが同一の目的で施されたものと仮定し、資料の性格を考察する。  まず、史料などの検討から、古代には葉椀・葉盤などと呼称された植物質の容器が祭器として使用されていた事を指摘し、木葉状線刻(木葉圧痕)を施す碗をこうした祭器の系譜を引くものと想定する。また、八巻古窯群に類似した資料がほぼ同時期の山茶碗窯にも散見できる事から、こうした祭祀が当地域においてやや広域に存在していた状況も想定する。
📄 PDFを開く
続・東海地方の古代瓦塔研究ノオト
著者:永井邦仁
ページ:109-120
年:2016
概要:8 世紀の東海地域における瓦塔について、独特の軸部表現技法をもとに設定した猿投窯型を中心に、今度は屋蓋部にも注目してその全体プロポーションを概観した。それは8 世紀後半段階に全体の大型化に加えて屋蓋部の大型化という2つの指向性をもっていたが、やがて屋蓋部を強調する点のみになり、9 世紀初頭には極端に高さの詰まった小型の瓦塔へ変貌したと推察した。
📄 PDFを開く
愛知県一宮市清郷遺跡の鍛冶遺構
著者:蔭山誠一
ページ:121-136
年:2016
概要:愛知県一宮市所在の清郷遺跡は、古代の鍛冶遺構と竪穴遺構、これらの遺構に伴う鍛冶関連資料が調査されており、一連の鍛冶工人・工房に営まれたものである。今回は調査された鍛冶遺構について、江戸時代の大鍛冶の遺跡である岡山県福見口遺跡と小鍛冶の遺跡である大阪府難波宮址NW—4 調査地6 区の調査事例を参照に、清郷遺跡の鍛冶遺構と出土した椀型滓の分析を行い、鍛冶の工程を推定し、鍛冶遺構の作業内容を復元した。
📄 PDFを開く
西三河における中世集落の成立と展開
著者:鈴木正貴
ページ:137-152
年:2016
概要:西三河地域の古代から中世までの集落遺跡を概観し、12 世紀後葉頃に中世集落が成立するという画期があることを示した。この画期は1)単数または複数の建物を持つ区画としての屋敷ができ、2)建物は掘立柱建物が主体となり、3)屋敷には区画溝や井戸などが設定されるという変化があり、11世紀から12 世紀には多くの集落遺跡で断絶が認められた。屋敷の起源は豪族居館や古代官衙などに求められると思われるが、西三河では中世初期になってようやく屋敷が一般的な集落に適用されるようになったといえる。
📄 PDFを開く
大窯成立期の工房の様相について
—桑下東窯跡の事例から—
著者:武部真木
ページ:153-162
年:2016
概要:桑下東窯跡において確認された大窯第1 段階を中心に操業した工房跡は、これまでの山茶碗・古瀬戸窖窯にはなかった規模をもち、多様な施設が配置された類例のないものであった。ただし、調査事例に乏しいことが大窯期の工房の実態について比較や評価を困難なものにしている。そこで隣接する桑下城跡・上品野西金地遺跡の調査成果、および大窯導入の主要な目的である「量産化」を手掛かりに、桑下東窯跡の工房・製品・立地について再評価を試み、大窯成立期を代表する工房の様相として提示できるとの見通しを得た。
📄 PDFを開く
近世焼塩製産と「その後」
著者:松田 訓
ページ:163-178
年:2016
概要:近世遺跡から出土する焼塩壷は、消耗品であり、年代を推定する資料として有用である。しかし、内容物である焼塩については、考古学的アプローチによって実態を探ることは難しい。本稿では焼塩製産、流通の実態を考えるため、近現代の文献、民俗資料にも負ってその消長を検討し、現在では知名度が低くなってしまった一因を推察した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 16 号(2015年)
縄文時代後晩期の土製垂飾類(玉類)について       
—東海地域の事例から—
著者:川添和暁
ページ:1-16
年:2015
概要:本稿は、研究上、主体的に取り上げられる機会の少ない、土製垂飾類についての集成と若干の考察を行うものである。土製垂飾類を1 類から7 類に大別し、1 類は獣牙と、2 類は植物種実との関連性を指摘した。一方、4 類〜7 類は有孔球状土製品や岩偶岩版類・土版との関連も考えられ、性格が異なるようである。これら土製垂飾類は、土壌など保存条件に制約を受けることが少ないにも関わらず、地域的な分布に偏差が認められる。このことから、土製は骨角製や石製に対する単なる代用品ではなく、土製垂飾類が主体的に使用され場合があったのではないかと推測した。
📄 PDFを開く
朝日遺跡における弥生時代初期の植物圧痕分析
著者:中山誠二・原田 幹・永井宏幸
ページ:17-30
年:2015
概要:東海地方における弥生時代初期の生業や穀物利用の実態を解明することを目的に、本地域でもっとも代表的な弥生集落である朝日遺跡における植物圧痕の調査を行った。対象とした資料は、1995 年度と1996 年度の発掘調査によって検出された弥生時代前期から中期初頭の土器である。同定分析の結果、弥生時代前期を主体としてイネ、アワなどの穀物が検出された。本地域の五貫森式から馬見塚式段階の遺跡ではアワ・キビなどの小粒穀物が多いのに対し、朝日遺跡の前期段階ではイネの検出率が高い点は、既存の畠作に加え、水稲農耕の拡大と安定的な経営を予測させる。
📄 PDFを開く
古墳時代後期ガラス小玉の製作技法
—矢作川左岸地域3 遺跡の分析から—
著者:鈴木恵介・堀木真美子
ページ:31-38
年:2015
概要:近年の全国的な研究によって古墳時代後期のガラス小玉の製作技法は飛躍的に明らかとなった。しかしながら愛知県内では雁木玉等の大型品を除けば、発掘調査報告書等でもガラス小玉の製作技法を報告している例は少ない。車塚遺跡出土ガラス小玉の分析を通じて、他の近い時期の古墳出土ガラス小玉を分析・比較した結果について検討を行った。
📄 PDFを開く
尾張三河国境地帯の古代窯業関連集落
著者:永井邦仁
ページ:39-48
年:2015
概要:古代の令制尾張国と三河国は境川を国境としていたが、その両岸丘陵地帯では8 世紀後半から10 世紀前半にかけて須恵器・灰釉陶器窯が多数操業する。そして同地域にある豊明市・薬師ヶ根遺跡は、背後にある丘陵の窯に関わる経営拠点の一つと評価される。本稿では、境川流域南部における窯業遺跡の動態にこれら拠点の形成が深く関わっていることを指摘した。
📄 PDFを開く
稲沢市下津宿遺跡出土井戸枠の酸素同位体比年輪年代測定結果について
著者:樋上 昇・中塚 武・大石恭平
ページ:49-68
年:2015
概要:平成22・23 年度に発掘調査をおこなった稲沢市下津宿遺跡から出土した井戸枠材他について、総合地球環境学研究所で酸素同位体比による年輪年代測定をおこなった。本稿ではその結果を報告するとともに、井戸型式および遺構の変遷と関連づけて考察した。
📄 PDFを開く
五条川流域の河道変遷と岩倉の歴史景観
著者:蔭山誠一・鬼頭 剛・ 鈴木正貴
ページ:69-88
年:2015
概要:岩倉市周辺における愛知県公文書館所蔵明治17 年作成の地籍図にみられる土地利用と現在の表層地形の解析を行い、縄文時代から江戸時代にかけての古地形の変遷を検討し、7条の旧河道の流路について復元した。そしてこの旧河道の復元案と岩倉城遺跡の発掘調査成果に基づき、岩倉城が存在した戦国時代の歴史景観を復元した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 15 号(2014年)
鉛瓦小稿
—金沢城の鉛瓦—
著者:小澤一弘・堀木真美子
ページ:1-12
年:2014
概要:瓦といえば陶製の粘土瓦を指すが、金属の瓦、すなわち銅瓦と鉛瓦があることは意外と知られていない。名古屋城や日光東照宮の銅瓦、金沢城と瑞龍寺の鉛瓦があるが、ここでは金沢城の鉛瓦について、発掘調査出土鉛瓦と伝世資料の鉛瓦を検討し、手間がかかる銅瓦葺きを例に概観した。そして蛍光X 線分析から鉛の純度が97% を越え、混ぜ物もなくほぼ100% そのまま鉛瓦に使用していたことが確認できた。
📄 PDFを開く
清洲城下町遺跡出土の動物遺体
著者:新美倫子・鈴木正貴
ページ:13-20
年:2014
概要: 清洲城下町遺跡は愛知県清須市に所在する戦国時代から織豊期の拠点的城郭・城下町遺跡である。2010・2011 年の調査地点は、1478 年〜16 世紀前葉には武家屋敷、16 世紀中葉〜1610 年には鍛冶屋や鋳物師などの職人の活動域として利用されたと考えられる。この調査で出土した動物遺体は、土坑等の遺構覆土を対象に1mm 目篩による水洗選別が行われて検出されたものが主体であり、発掘調査時に採集された資料もある。  これら動物遺体のうち、発掘時に採集された貝類についてはすでに報告されており、本論ではそれ以外の資料の内容を報告する。資料の量は少ないものの、遺跡でさまざまな海水魚・淡水魚が利用されており、他地域から流通によって持ち込まれた種も利用されていることなどが明らかになった。また、出土例の少ない中世後半期のニワトリの形質を知ることもできた。
📄 PDFを開く
豊田市栗狭間遺跡出土の木製品について
資料紹介
著者:武部真木
ページ:21-28
年:2014
概要:豊田市南東部の山間地に所在する栗狭間遺跡から出土した木質遺物について紹介する。これらは中世の木材生産に関連する資料と考えられ、山間地の生業の実態を伝える貴重な事例となった。周辺遺跡も含めて調査は継続中であり、今後は具体的な作業環境の復元が期待される。
📄 PDFを開く
下津宿遺跡の再検討
—金属関連資料・微細遺物・掘立柱建物跡から—
著者:蔭山誠一・鈴木正貴・ 中村賢太郎
ページ:29-52
年:2014
概要: 『下津宿遺跡』(樋上編2013)では十分に検討・掲載できなかった金属関連資料・土壌水洗篩別により抽出された微細遺物・掘立柱建物跡の分析を行う。この結果、鍛冶関連遺物の出土量・動物遺体の組成・掘立柱建物跡の規模などが調査地点により異なることが明らかになり、溝で画された区画の性格を読み込む材料となることを示した。今後はその他の資料と具体的に分析することによって、中世下津の空間利用の変遷を明らかにすることが求められる。
📄 PDFを開く
豊田市乙ケ林出土銭の蛍光X線分析
著者:堀木真美子・鈴木正貴
ページ:53-62
年:2014
概要:蛍光X分析装置を用いて豊田市乙ケ林出土銭の銭貨を成分分析した。まず、非破壊の状態と研磨面との分析結果の比較を行い、研磨の有効性を確認した。その上で、永楽通寳および開元通寳を銭貨の鋳上がり状態別に化学組成値の分析を実施した。結果、永楽通寳および開元通寳で組成値に違いが見られ、同じ銭種の中でも銭文の状態によって組成が異なる場合があることが明らかになった。模鋳銭の実態の一端を示すデータを提供できたものと考えられる。
📄 PDFを開く
愛知県における中世瓦の展開とその特徴
著者:永井邦仁
ページ:63-74
年:2014
概要:現在の愛知県に相当する尾張・三河国域で出土する中世瓦、特に13世紀代の展開を概観する。個別資料の編年的位置を確認しながら、神宮寺と天台宗山林寺院を基軸とする分布に着目し、尾張の熱田大宮司家とそれを継承した三河の足利氏による寺院造営活動の一端を示しているものと考えた。
📄 PDFを開く
近畿出土の円窓付土器をかんがえる
著者:永井宏幸
ページ:75-82
年:2014
概要: 本稿は、近畿出土の円窓付土器について弥生時代中期後葉を中心に14遺跡23例から検討する。23例は尾張地域からの搬入品ではなく、各遺跡に通有する土器の特徴をあわせもつ在来品である。近畿出土の特質として、脚付円窓付土器が多数を占める。加えて装飾のある類例に限った分布傾向から、野洲川下流域を基点に中期後葉前後の地域間交流がみえてくる。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 14 号(2013年)
奥三河地域の縄文時代後晩期の様相について
―東栄町引田遺跡・本郷桜平遺跡を中心に―
著者:川添和暁
ページ:1-10
年:2013
概要:東栄町引田遺跡および本郷桜平遺跡について、近年の調査成果をもとに分析結果を提示したものである。引田遺跡では、これまで広く知られていなかった縄文時代後期の様相を、本郷桜平遺跡については近年の発掘調査をもとに立地する地形などを復元した。周辺を含めた遺跡の分布を縄文時代後期(晩期前半も含む)と晩期後半以降とに分けて、その様相の差について指摘して、若干の私見を述べた。
📄 PDFを開く
知多式以前
―松崎遺跡・上浜田遺跡の脚台式製塩土器―
著者:早野浩二
ページ:11-22
年:2013
概要:松崎遺跡・上浜田遺跡の脚台式製塩土器を改めて分類し、編年的位置、系譜、出土状況について検討した。その結果、松崎遺跡における知多式0類以前の製塩土器は系譜が不連続であることを確認した。また、土器製塩の操業も小規模で、知多式1類以降の操業とは明らかな飛躍があることを示した。
📄 PDFを開く
安城市惣作遺跡出土の刀把装具について
著者:樋上 昇・早野浩二
ページ:23-32
年:2013
概要: 本稿では、平成 23 年度に発掘調査をおこなった安城市惣作遺跡から出土した、木製の刀把装具を紹介する。併せて、この刀把装具の使用樹種と AMS による年代測定値の公表、さらにその系譜についても若干の考察を加える。
📄 PDFを開く
尾張国府跡の研究 (1)
著者:永井邦仁
ページ:33-46
年:2013
概要:愛知県稲沢市には、尾張国の国府所在地と推定される遺跡(尾張国府跡)がある。当該遺跡は尾張大国霊神社を中心に約 800m 四方の範囲で認識され、1977 年から 1990 年にかけて稲沢市教育委員会による発掘調査が実施されている。その過程では国庁などの確定には至らなかったものの、多数の特徴的な出土遺物が得られている。本稿では、東隣の塔の越遺跡や下津地区の調査成果を大幅に取り入れながら、尾張国府跡の調査成果を再検討し新たな評価を試みることにしたい。
📄 PDFを開く
清須における河川跡の研究
著者:蔭山誠一・鈴木正貴
ページ:47-62
年:2013
概要:本論は、愛知県清須における旧河川の変遷について、これまでの発掘調査において確認された流路跡の検討に加え、明治 17 年作成の愛知県公文書館所蔵『地籍字分全図』から古河川跡の復元を試みた。その結果、1弥生時代から流れる朝日遺跡の谷 A を中心とする河川群から、2古墳時代後期から古代に流れたと思われる朝日西遺跡の東端部を流れる旧河川、3古代~戦国時代に美濃街道の東を南北に流れる旧河川、4江戸時代前期の名古屋市蓬左文庫所蔵『春日井郡清須村古城図絵』に描かれた旧五条川、そして5 18 世紀末の瀬替え以後の現五条川の 5 段階に河川が変遷することが明らかになった。
📄 PDFを開く
下山の炭焼窯跡
著者:伊奈和彦・武部真木・蔭山誠一
ページ:63-77
年:2013
概要:平成 24 年度に愛知県豊田市下山地区において発掘調査を実施した猪移り遺跡・コヤバ遺跡にて確認できた近世後期末から昭和期に営まれた炭焼窯跡について分析した。その結果、江戸時代から続く炭焼窯跡の形態である煙道部をもち石敷きの燃焼室の平面形が楕円形となる形態から煙道部をもち石敷きのない燃焼室の平面形が円形の形態へと変遷することを明らかにできた。また、煙道部が確認されない炭焼窯跡も先の2つの形態の炭焼窯跡と併行して存在した可能性が高いことを指摘した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 13 号(2012年)
一宮市馬見塚遺跡における立地と遺跡形成についての覚書
著者:川添和暁・鬼頭 剛
ページ:1-16
年:2012
概要:一宮市馬見塚遺跡は、尾張低地帯に立地する遺跡として、学史的にも知られた著名な遺跡である。当地域の縄文時代後晩期の遺跡が散発的な状況を示す中、馬見塚遺跡では、遺構・遺物の出土など遺物包含層の様相が群を抜いて濃密であり、この遺跡の様相の解明および評価は、当地域の縄文時代後晩期を語る上で必須である。筆者らはこれまで公表されている調査・研究成果をまとめる作業から開始した。本稿では遺構・遺物出土の様相を把握する一方で、地質学的立場からの表層地形解析結果を重ね合わせた。その結果、縄文時代後期後葉から弥生時代に至るまで、一貫して遺跡内のくぼ地際に遺跡が形成されていることが判明し、晩期中葉以降は同時に2ヶ所で形成が行なわれている様子を明らかにすることができた。
📄 PDFを開く
江南市音楽寺遺跡出土の美濃須衛窯型瓦塔
著者:永井邦仁
ページ:17-28
年:2012
概要:江南市に所在する音楽寺遺跡は、平成 4 年度に発掘調査が実施され多量の瓦塔片が出土したことで注目された。瓦塔は 4 基に分類されるが、今回調査した結果 1 基は美濃須衛窯型であると考えられる。本稿では、まず出土状況からこれらの瓦塔が金堂内に造立されていた可能性を指摘し、加えて美濃須衛型瓦塔の展開についても概観した。
📄 PDFを開く
後期清須城本丸考
̶臼杵市立臼杵図書館所蔵絵図を中心に̶
著者:鈴木正貴
ページ:29-60
年:2012
概要:大分県臼杵市立臼杵図書館は、旧臼杵藩主稲葉家が伝えた大量の絵図群を所蔵しており、その中に清須城に関する絵図が2点含まれている。本稿ではこの絵図を紹介し、そこに描かれた情報から後期清須城中枢部の構造について考察する。コレまで、知られていた名古屋市蓬左文庫所蔵絵図2点が示す内容とは異なる情報を持っていることが明らかになり、従来は連郭式城郭として位置づけられてきた清須城の城郭構造が、そうではない可能性を考えられた。
📄 PDFを開く
近代洋皿と青色釉分析
著者:武部真木・堀木真美子
ページ:61-69
年:2012
概要:本稿では洋食器の皿、近代陶磁器の出土資料を紹介する。遺物として報告される機会が少なく、また特徴的な文様パターンやマーク(裏印)の情報を除いては詳細が示されてこなかった近代資料である。形態や表面観察のほか、今回は主に青色の釉薬成分の分析を行った。産地や製造技術(時期)にせまる手掛かりについて模索する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 12 号(2011年)
縄文時代後期注口土器の残存状況に基づく分析
—豊田市今朝平遺跡出土資料より—
著者:川添和暁
ページ:1-8
年:2011
概要: 縄文時代後期の注口土器について、使用・廃棄の痕跡から、その活動行為の復元を論じたものである。今回、部位と残存状況について特に注目して、分析を行った。注口土器自体の分析はもちろんのこと、加えて、注口土器とは歴史的脈略が全くなく、かつ形態的に類似する、中世陶器古瀬戸類の水注との比較・検討を行った。その結果、両者には、残存部位および欠損状況において大きな相違が認められ、注口土器では、注口部を意図的に根元から切断する行為がしばしば行なわれたものと推定した。遺跡から出土する注口土器は、注口部、注口部が除去され胴部、注口部のついたママの完品、胴部片の4群の状態に分けることができ、特に他の破片とは接しない注口部の存在など、祭祀行為や遺跡間関係を考える上で重要になることを指摘した。
📄 PDFを開く
朝日遺跡から出土した石鏃の刺さったシカ腰椎について
著者:宮腰健司・山崎 健・大河内隆之・原田 幹
ページ:9-18
年:2011
概要: 本文で取り上げる石鏃の刺さったシカ腰椎は、朝日遺跡の昭和60 年度調査において出土した遺物であるが、未報告になっていたものである。これまでのX線撮影では、石鏃の形態や陥入状況が不明であったが、奈良文化財研究所のX線CT 撮影によって、それらが明らかになったので報告する。この腰椎は、朝日遺跡の谷Aの左岸(南岸)の貝層内より出土しており、時期は弥生時代中期前半に比定される。部位はニホンジカの第6腰椎にあたり、立位姿勢であれば右斜め前から水平に矢が打ち込まれたと推測され、骨増殖も認められた。石鏃はチャート製の小型の五角形を呈する有茎鏃で、3箇所に衝撃剥離痕がみられる。これらのことから、具体的な狩猟の様子や石鏃の刺突時の状況が判り、骨増殖が認められることにより、本資料の石鏃が弥生時代に行われていたとされる儀礼的な狩猟で使用されたものではなく、狩猟に用いられたものであると推測された。
📄 PDFを開く
愛知県一色青海遺跡における昆虫化石を用いた古環境復元
著者:奥野絵美
ページ:19-24
年:2011
概要: 本研究では昆虫化石分析の結果をもとに、一色青海遺跡( 愛知県稲沢市) における弥生時代中期の古環境について述べる。一色青海遺跡で弥生時代中期後葉の河道400NR、大溝200SD・600SD から試料を採取し、昆虫化石分析を行った。200SD から得られた合計135 点の昆虫化石群集には、ヒメコガネAnomala rufocuprea やコガネムシMimela splendens など、食葉性のコガネムシ群を中心とした食植性昆虫が多く認められた。この結果から、一色青海遺跡とその周辺に広葉樹を中心とした木本類や、マメ科植物・ブドウなどの果樹からなる植生が広がっていたと推定できる。また、200SD から見つかったコガネムシのAMS14C 年代測定を行ったところ、162calBC-2calAD の値を示した。
📄 PDFを開く
石座神社遺跡の遺構と遺物
著者:早野浩二・日吉康浩
ページ:25-32
年:2011
概要: 豊川中流域に立地する新城市石座神社遺跡は、弥生時代後期・古墳時代前期の集落遺跡である。大型竪穴住居と大型掘立柱建物によって構成される集落の中心施設、検出された320 棟の竪穴住居、破鏡を含む金属製品の出土などから、遺跡は弥生時代後期の拠点集落から古墳時代前期の首長居館への変化の過程を具体的に示す好適な資料と考えられる。
📄 PDFを開く
安城市下懸遺跡・惣作遺跡出土の木簡について
著者:永井邦仁
ページ:33-38
年:2011
概要: 平成20・21 年度の発掘調査で、安城市に所在する下懸遺跡と惣作遺跡からそれぞれ1 点ずつ出土した木簡について報告する。両木簡は奈良時代の可能性が高く、前者が文書木簡で後者が習書木簡と分類される。特に後者については人名「呉部足国」が記されており、西三河地域の古代史に重要な資料を提供したものといえる。
📄 PDFを開く
金萩遺跡刻書土器小考
著者:池本正明
ページ:39-46
年:2011
概要: 本稿では金萩遺跡出土の刻書土器に『』が多い事に注目する。『』は大陸起源の信仰に登場する九字の略号であることが指摘されているが、名古屋市昭和区に所在する八事小堂跡の存在などを評価すると、密教との関わりを想定できる。金萩遺跡資料はいわゆる純密以前の古密教と呼ばれる段階に属する。古密教はその特徴となる現世利益的呪術性を発揮して、猿投窯の製品流通にも宗教的支援を実施していたものと推察でき、金萩遺跡の刻書土器はこうした修法に関連しているものと考えられる。これは、猿投窯の生産と流通が律令制と関わり深い一面を有していた必然とも言えるであろう。
📄 PDFを開く
守山区金屋遺跡について
著者:川添和暁・鬼頭 剛
ページ:47-54
年:2011
概要: 本稿では、名古屋市守山区金屋遺跡の資料紹介を行なう。正式な発掘調査は行われていないが、遺跡確認調査の結果、古代・中世の集落跡である可能性を提示した。守山区ではこれまで台地上でしか遺跡の確認ができていなかった。今回、庄内川・矢田川に挟まれた沖積地内の微高地上に立地する本遺跡を確認したことにより、古墳時代以降の地域史研究に新たな考古学的知見を加えることとなった。
📄 PDFを開く
小牧山城とその城下町の土師器
著者:鈴木正貴
ページ:55-62
年:2011
概要: 尾張国を掌握した織田信長は、天下統一を成し遂げるために拠点を清須から小牧、岐阜、安土へと移動した。これらの移転は城下町建設を伴うことが明らかになってきたが、本稿ではその移動の実像の一端を、小牧山城関連の発掘調査で出土した土師器を通して検討した。その結果、土師器生産者は清須から小牧へ移動した可能性が高いが、小牧から岐阜には移動せず一部を除き再び清須に移転したことが推測された。そのあり方は信長の動きとは連動しないことが判明した。
📄 PDFを開く
瀬戸市上品野町菩提寺の調査
著者:伊奈和彦・鵜飼雅弘・宇佐見 守・蔭山誠一・武部真木
ページ:63-74
年:2011
概要: 本センターでは、平成16、19、20、21 年度と4 次にわたって瀬戸市上品野町にある桑下城跡の発掘調査を行ってきた。桑下城跡の北、直線距離にして300m 程の位置に寂場山菩提寺が存在する。近接して存在する城や窯と寺院とには何らかの関連があるのか。今回我々はこの疑問と興味とから菩提寺について考察することにした。寂場山菩提寺は寺伝によれば天平年間に行基が開いたとされているが、現在は無住の寺となっており、創建当初とはかなり様相を異にしているようである。不明な点の多い菩提寺の近世以前の姿を探るために現地踏査を実施し、文献資料や地元住民からの聞き取りによってさまざまな角度から考察を行った。その結果、文献からは慶長年間以前にこの場に菩提寺ないし観音堂が存在していたことがわかった。また採集遺物では、中世前半期と後半期の2 時期に大別することができ、少なくとも中世後半には何らかの宗教的な施設が存在していたであろうとの推定に至った。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 11 号(2010年)
縄文後晩期の岩偶岩版類について―東海地域の事例を中心に―
著者:川添和暁
ページ:1-24
年:2010
概要:本稿では、東海地域の資料を中心に、関西地域の資料をも含めて、確認できた岩偶岩版類について集成・分析を行った。岩偶岩版類を、断面形状から板状のものと非板状のものに分け、板状を13 類型に、非板状を4 類型に分類できるとした。これらは縄文時代後期中葉から晩期末までに認められるが、後期中葉から晩期初頭中心の伊勢湾西岸域と後期末から晩期末までの伊勢湾東岸域との様相の差を指摘し、後期岩版類や分銅形土偶、および南九州域の影響を受けた伊勢湾西岸域の様相から、やや東海地域の独自色を出した伊勢湾東岸域の様相へと変遷して行くと考えた。また、岩偶岩版類と線刻礫、および石錘と言われているものの一部にも有機的関係を示すと考えられるものが存在する可能性を指摘した。
📄 PDFを開く
金剛坂式土器の系譜~紅村弘の学説を振り返る~
著者:永井宏幸
ページ:25-36
年:2010
概要:紅村弘が提唱した金剛坂式土器の系譜を検討する。まず紅村による半世紀におよぶ研究から、紅村の言説を振り返り、現状での定義を再考する。ついで、遠賀川式土器から派生したのではなく、縄文晩期土器からの系譜を主張する紅村の考え方に導かれながら、近年の新出資料に型式学的検討を加える。ところで、伊勢湾西岸以東の地域型突帯紋系土器は馬見塚式土器の無紋・条痕紋土器(増子2類)を含まない。一方、西岸域における突帯紋系土器様式の終焉と遠賀川系土器の交流の一端が金剛坂式土器を成立させた。その過程を西岸域および琵琶湖周辺を含めた環伊勢湾岸域に求め、検討した。その結果、突帯紋系土器様式と遠賀川系土器様式の折衷形として在地型遠賀川系土器、すなわち金剛坂式土器が成立したことを提示した。
📄 PDFを開く
「貝田町式土器」生成論
著者:石黒立人
ページ:37-50
年:2010
概要:貝田町式は、西の「櫛描紋」、東の「条痕紋」とは異なる明確な地域性をもって成立し、伊勢湾岸域の弥生中期中葉を特徴づけている。それを弥生文化の3 要素になぞらえれば、東西両系に対する「独自系」となり、型式学的には「折衷型」に重点を置くことになる。今回は紋様に絞って具体的に生成過程を検討した。 濃尾平野の朝日遺跡周辺において、中期前葉の朝日式2 期の櫛描紋要素と岩滑式3 期の条痕紋要素を中心にして、その他の要素を含めた相互影響と型式学的変異が多産される状況が生まれた。それが再編される過程の中で、直接には条痕紋系に起源をもつ「付加沈線研磨手法」が貝田町式の紋様構成を規定する形制が成立した。「付加沈線研磨手法」によって施される紋様は朝日遺跡では黒色焼成の精製土器群(各種壺と鉢等)に採用され、同時に細頸壺を除いては同種の土器が周辺地域で広く共有されることが無いという特種な状況も生まれた。よって「貝田町式」とは〈斉一性〉とはほど遠い、斑状の濃淡を内実とする型式であることがより鮮明になった。
📄 PDFを開く
碧海台地東縁の古代集落
著者:永井邦仁
ページ:51-60
年:2010
概要:西三河地域の中でも碧海台地東縁を対象として、古代集落遺跡の立地がどのように推移するか検討した。7 世紀代には開拓集落が台地縁辺で増加傾向にあるが、8 世紀前半は特に、より高燥な台地奥部への進出がみられる。その後、8 世紀後葉を画期として水辺近くへの移動が本格化する。この一連の集落移動には村落首長層が伴っており、律令国家的権威を背景にしながらも在地首長層の主体的な意志がはたらいたものと考えた。
📄 PDFを開く
中世下津宿を考える(その2)―自然科学的古環境解析とその評価―
著者:奥野絵美・蔭山誠一
ページ:61-72
年:2010
概要:平成19 年度と平成20 年度に実施された長野北浦遺跡における発掘調査によりみつかった中世の区画溝や井戸の埋土中より抽出された昆虫化石と植物種実化石を分析し、古環境を考えた。その結果鎌倉時代を中心とする時期(12 世紀後半~14 世紀)の長野北浦遺跡における調査地点付近の古環境は人間が営む生産域に囲まれた中で、やや人間の営みに伴う人為的廃棄が少数及ぶ居住地に近く、かつ人間による手入れが少ない樹々が生育できる場所と想定した。また平成11 年度に報告された下津北山遺跡の自然化学分析の再検討を行い、中世下津宿の古環境の再評価を行った。
📄 PDFを開く
稲沢市一色青海遺跡出土の絵画土器について
著者:樋上 昇
ページ:73-78
年:2010
概要:本稿では、平成21 年度に発掘調査をおこなった稲沢市一色青海遺跡から出土した、鹿の絵を描いた絵画土器を紹介する。併せて、これまで愛知県内から出土している弥生~古墳時代に属する、鹿の絵を描いた絵画資料についても簡単に触れることとしたい。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 10 号(2009年)
東海地域縄文時代後晩期の骨角器製点状刺突具類について―ヤス・鏃・針の分析―
著者:川添和暁
ページ:1-22
年:2009
概要:本稿では、従来、ヤス・鏃・針などと呼称されている器種群について、点状刺突具類として一括してまずは分析・検討し、東海地域縄文時代後晩期の実資料に即した形で、再分類を行った。分析の中心はシカ中手・中足骨製であったが、エイ尾棘製の使用も現状より多かったのでは考えられる。点状刺突具類は東海地域において骨角製利器の中心的位置を占めているものの、実際は小地域および遺跡ごとにより、製作・使用・廃棄の様相が大きく異なっており、生業における役割および用いた集団を考える上で糸口になる視点を提示した。
📄 PDFを開く
古墳時代村落と石製模造品
著者:早野浩二
ページ:23-34
年:2009
概要:本文は、村落研究における石製模造品の学史的・今日的な研究状況における位置を確かめるものである。1970 年代、村落における石製模造品は、村落祭祀の研究とも関係しつつ、観念の段階的相違、イデオロギー統制の史的前提を示す祭祀具として扱われる傾向にあった。1980 年代、村落における民俗的祭器としての位置も示されたが、1980 年代末年以降、村落祭祀の枠組みにおける石製模造品の位置は必ずしも適確には示されなかった。こうした学史的経緯を踏まえ、さらに特徴的な村落や古墳における石製模造品の存在形態を例示しつつ、石製模造品が村落祭祀に付随し、外来思想にも触発されながら、地域開発、生産力発展を観念させる装置として機能したことを推考した。そして、石製模造品を村落祭祀が発展し、形骸化する過程の端緒とした。
📄 PDFを開く
猿投窯型瓦塔の展開(2)―猿投窯型以前―
著者:永井邦仁
ページ:35-42
年:2009
概要:東海地域において猿投窯型瓦塔が量産化される以前、およそ8 世紀前半の瓦塔を検討する。尾張・三河・遠江国域で数点ずつ確認できた瓦塔では、軸部上端に庇状・簾状粘土帯を付加することによって組物を表現する技法が採用されていた。この技法は猿投窯型瓦塔の空中粘土帯技法に通ずるもので、当該期の瓦塔がその原型になっていたと結論づけた。そして庇状・簾状粘土帯技法は、関東地域の8世紀前葉~中葉の瓦塔にもみられ、両地域の瓦塔をつなぐ手がかりになるものと見通した。
📄 PDFを開く
中世下津宿を考える
著者:鵜飼雅弘・蔭山誠一・鬼頭 剛・鈴木正貴・松田 訓
ページ:43-67
年:2009
概要:中世における尾張国下津宿の性格と景観を復元する為に、中世下津宿に関する文献史料と寺社の分析、明治17 年作成の地籍図の分析、現在の地形解析、当該地の地表面踏査、下津周辺の発掘調査成果の分析などを行なった。その結果、中世における下津が旧三宅川と旧青木川の合流する「下津河」と中世東海道が交差することを推定し、地域における物流と京都から鎌倉を結ぶ主要なネットワークの要所に位置することを明らかにした。また14 世紀以後には有力な寺院が形成され、守護所も置かれるなど、東西約2.5km、南北約3.0km の範囲に及ぶ「下津遺跡群」とも呼びうる拠点集落が営まれたことを指摘した。
📄 PDFを開く
文献資料からみた桑下城と品野城
著者:宇佐見 守
ページ:68-76
年:2009
概要:愛知県瀬戸市上品野町に所在する桑下城は、近年の発掘調査の結果、松平氏や今川氏による品野支配の拠点であった可能性が高くなってきた。そこで、桑下城と品野城に関連する文献を集成し比較することにより、文献資料からその補強ができないか検討してみた。その結果、従来品野城での出来事とされてきたことが、そうとは言えないことが判明した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 09 号(2008年)
板倉遺跡の再評価―出土遺物・遺跡立地を中心に―
著者:川添和暁・鬼頭 剛
ページ:1-10
年:2008
概要:尾張低地帯では、縄文時代後期・晩期の遺跡の状況が、近年注目されつつある。本稿では、これまで考古学的に検討がなされてこなかった、板倉遺跡について若干の検討を試みた。当遺跡は、板倉貝塚として、縄文海進時の海岸線の範囲など自然地理学の立場からの発言が多いものである。本稿は、現在、遺物として確認できる土器片、および遺跡周辺の堆積状況などから、板倉遺跡の評価を行ったものである。地質学的検討から谷地形などの表層地形の解析を行なった上で、見つかったとされる貝層は、縄文海進による中部粘土層由来のものではないことを明らかにした。一方で、当地は縄文時代後期末から晩期以降にかけての活動の場として考えられることから、現状ではさまざまな問題点はあるものの、この貝層も当時の人為的作用による可能性を提示した。
📄 PDFを開く
弭形製品・浮袋の口について―東海地域の縄文時代後晩期を中心に―
著者:川添和暁
ページ:11-30
年:2008
概要:骨角器でしばしば機能・用途など属性の想定が難しい資料に遭遇する。ここで取り上げる弭形製品・浮袋の口に関しても同様である。特に、弭形製品に関しては、近代考古学がはじまったころには、すでに東海地域においてその存在が知られており、東海地域の資料に関しては、装飾性が豊かであることが知られていた。今回、東海地域の地域社会性を考える上で、弭形製品と、これとしばしば関連づけられる浮袋の口の二器種を取り上げる。検討には、表層的な観察のみならず、製作・使用・流通・廃棄(埋納)の各過程を検討することによって、資料の評価に迫る試みを行なった。出土遺跡の傾向・点数・遺物の諸属性を検討した結果、縄文時代晩期・東海地域の例でいえば、弭形製品と浮袋の口は、弭とは限定できないものの、棒状なものを挿入した道具の一部の、特に弭形製品に関しては、ある象徴的な部分を担っていた可能性を指摘した。従って、これらの出土状況は、社会集団の様相の一端を表出していると仮定できよう。
📄 PDFを開く
古墳時代の鉄鐸について
著者:早野浩二
ページ:31-42
年:2008
概要:本文では、最初に、春日井市高蔵寺5号墳の鉄鐸と砥石(提砥)、同廻間7号墳の鞴羽口、田原市藤原1号墳の鉄鐸と同2号墳の鉄塊を提示した。次に、鉄鐸にについての基礎的把握として、日本列島の鉄鐸の出土事例を検索し、研究の流れを参照した。それを踏まえて、高蔵寺5号墳、藤原古墳群周辺の情況を、美作地域において鉄鐸、鍛冶具、鉄滓、鉄塊が副葬、供献される現象と対比した。結果、祭祀具として鉄鐸が副葬、所持される背景に、鉄器製作との一定の相関を認めた一方、その関係性には地域性が反映されている可能性が高いことを述べた。
📄 PDFを開く
猿投窯型瓦塔の展開(1)―信濃の猿投窯型瓦塔―
著者:永井邦仁
ページ:43-52
年:2008
概要:愛知県内の8 世紀後半~9 世紀初頭の須恵器窯跡から出土した、瓦塔の形態的・技法的特徴をもとに「猿投窯型瓦塔」を設定した。そして同型の瓦塔は尾張・伊勢・三河・遠江に加え信濃中・南部地域にも分布するこをあきらかにした。またこの時期は列島の各地で「地域型」瓦塔が展開しており、その分布する地域ごとに視点を据えていくことの重要性を強調した。
📄 PDFを開く
パレススタイル土器の赤色顔料
著者:堀木真美子
ページ:53-64
年:2008
概要:朝日遺跡および下懸遺跡出土のパレススタイル土器106 点に付着する赤色顔料の蛍光X 線分析を実施。濃尾平野と西三河地域での赤色顔料に含まれる元素の比較を行った結果、2つの地域を分ける特徴を見いだすことはできなかった。また、同一個体に使用されている赤色顔料について、部位により元素の組成に違いが認められるものの、部位による傾向は把握できなかった。
📄 PDFを開く
愛知県日置八幡宮所蔵木造獅子頭考
著者:蔭山誠一
ページ:65-80
年:2008
概要:愛知県愛西市日置八幡宮所蔵木造獅子頭の歴史的位置付けを考えるために、中世前半期における東海地域と中国地方西部の木造獅子頭の形態変遷と地域的特徴を明らかにした。そして建長四(1252)年製作銘の判明した日置八幡宮所蔵獅子頭を通して、鎌倉時代から室町時代前半にみられる東海地域と中国地方西部にみられた共通する変化を様式的変化と捉え、地域の製作者(工人)が当時の文化の中心地からデザインを入手した可能性と東海地域に見られる小地域色の出現を地域の製作者(工人)が以前から存在した獅子頭の写しの結果としておこる地域変容として考えた。また、日置八幡宮が所在した日置荘の資料を通じて日置八幡宮所蔵木造獅子頭製作の背景を指摘した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 08 号(2007年)
鹿角製装身具類について
-東海地域の縄文時代晩期を中心に-
著者:川添和暁
ページ:1-22
年:2007
概要: 骨角器という動物性素材の道具類は、さまざまな種類のものが包括されている。単に動物性素材を使用しているという点から一括して論ずる前に、それぞれの道具に対する製作・使用・廃棄の諸様相について考古学的な検討を行う必要があると考えている。近年、筆者は、特に鹿角の使用に関して、製品との対応関係の検証作業を行っている。本稿は、その中でも東海地域の縄文時代晩期における装身具類についての成果である。13種類の分類の中で、ごく一部を除き非半截系の材への比重が高く、各分類に対応する材の法量・形状がほぼ定まっていた可能性を提示した。また、各分類における製作・使用状況は同一ではないようである。さらに、分類の一部に関しては、吉胡・伊川津の両遺跡が製作+使用遺跡、その他の多くが使用遺跡となることが窺えられた。このように、同じ鹿角製でも、根挟みを中心とする棒(点)状刺突具とは、製作・使用・廃棄(埋納)の状況が大きく異なることを指摘することができる。
📄 PDFを開く
条痕紋系土器様式の研究
著者:永井宏幸
ページ:23-32
年:2007
概要: 条痕紋系土器様式とは、中部地方に広がりをもつ弥生時代の広域土器様式である。淵源は愛知県内を中心に分布する貝殻を原体とするいわゆる「二枚貝条痕紋土器」にある。その後、弥生時代前期後半から中期中葉にいたる時期を中心に、中部地方各地域の在来系土器と交流をもちながら、地域独自の型式を存続させる。  まず、条痕紋系土器を概観する。土器様式の枠組みとして、形式、紋様と原体について言及する。この枠組みを踏まえて、条痕紋系土器様式を第1?4様式に設定し、変遷過程を示す。具体的には、土器様式の拡がりを各地域の型式から検討し、条痕紋系土器の有無を点検する。これらの作業を通して、土器様式の適応範囲が確認できよう。つぎに、条痕紋系土器様式のなかで特徴的な土器、「内傾口縁の土器」に注目する。遠隔地に出土する意味を容器の特異性、つまり内容物が重要だと指摘する。 最後に、条痕紋系土器様式の適応範囲を確認するなかで、派生した問題を3つ提示し、展望とした。
📄 PDFを開く
弥生時代移住論覚書‘07
著者:石黒立人
ページ:33-36
年:2007
📄 PDFを開く
伊勢湾周辺地域における方形周溝墓の埋葬施設
著者:宮腰健司
ページ:37-48
年:2007
概要: 本文では伊勢湾周辺地域での方形周溝墓の埋葬施設データをまとめ、この地域の様相の一端を導きだそうとした。方台部上に設けられる土壙数は基本的に1基で、2・3基の複数埋葬もIV期以降に増加する傾向がある。また5基以上の埋葬施設をもつ「多数埋葬」はIV期以降に現れるが、1?3基のものとの格差は大きい。またIV期には方台部への盛土や、土器棺の方台部内への設置など大きな変化がある。また土壙には大きさにいくつかのランクがあり、幼児を含む男女が被葬者であると考えられる。さらに方形周溝墓群に匹敵するような土坑墓群の存在は今のところ想定しにくく、方形周溝墓周辺に散在すると考えられる。
📄 PDFを開く
愛知県下における須恵器生産と流通
著者:城ヶ谷和広
ページ:49-59
年:2007
📄 PDFを開く
中世萱津を考える
著者:蔭山誠一・加藤博紀・鬼頭 剛・鈴木正貴・松田 訓
ページ:60-80
年:2007
概要:中世における尾張国萱津宿の性格と景観を復元する為に、中世萱津宿に関する文献史料と寺社の分析、明治17年作成の地籍図の分析、現在の地形解析、当該地の地表面踏査・表採遺物の図化などの考古学的調査を行なった。その結果、中世における萱津の津の位置を推定し、萱津が旧庄内川と合流する旧五条川の津として存在した津であることを示した。また地籍図の解析や考古学的所見から中世の萱津宿が北から形成され順次南に展開していった可能性と鎌倉街道の西に寺院群が並んだ景観を想定するに至った。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 07 号(2006年)
東海地域縄文時代後晩期?べンケイガイ製貝輪
著者:川添和暁
ページ:1-20
年:2006
概要:東海地域、縄文時代後晩期のベンケイガイ製貝輪について、「加工の状態および程度」・「計測」・「形態」の諸属性について総合的な分析を行った。その結果、「腕輪」としての主たる機能・用途のみでは説明しきれない事象をいくつか提示し、その意義付けを若干行うことができた。II期前半(後期中葉~後葉)・II期後半(晩期初頭~前葉)・III期(晩期中葉~晩期末)と時期が変遷するにしたがい、加工・法量・形態に幅が見られるようになった一方で、ある特定の志向に基づく貝輪製作も垣間見られた。
📄 PDFを開く
弥生時代の大型土坑
東海地域を中心として
著者:蔭山誠一
ページ:21-32
年:2006
概要:弥生時代の尾張地域の遺跡においてよくみられる大型土坑について、形態や埋土の特徴から、その機能の主体を生活道具類の廃棄と考え、遺跡中では居住域に多く、墓域に少ないことを明らかにした。さらに阿弥陀寺遺跡の事例から大型土坑が竪穴住居の周囲10m程の範囲に掘られ、被熱痕跡がある埋土の土坑が竪穴住居群の間の空閑地に多いことを推定した。また東海地域の弥生時代~古墳時代前期前半にかけての遺跡にみられる大型土坑についても分析し、尾張地域における占地と同様な特徴を確認した。東海地域では沖積微高地に立地する遺跡において多くの大型土坑が掘られ、弥生時代後期 ~古墳時代前期初頭の遺跡に少ない傾向を指摘した。
📄 PDFを開く
伊勢湾周辺地域における弥生時代の平野地形について
著者:石黒立人
ページ:32-45
年:2006
概要:弥生時代に関わらず集落を基礎とする地域論を展開するためには地形環境を復元することが必須の作業である。しかし、沖積平野は弥生時代に至ってもなお形成途上にあり、地形を動態として捉えることが求められる。しかし、われわれが入手しえる地形情報の多くは現地表の観察に基づくものであり、到底弥生時代に適用できるものではない。そこで発掘調査成果が重要となる。各地で日々実施され、蓄積され続けている発掘調査データこそはまさに地形変遷の詳細を明らかにするものである。しかし、現状をみると残念ながら十分に活用されているとは言い難い。 本稿では最近蓄積された良好なデータに基づいて地形変遷を明らかにすることを試みた。その結果、縄文晩期に地形の大幅な更新があったこと、伊勢湾周辺では沖積平野に限っても、主要河川の河口部には砂堆が形成され、潟や後背湿地が点在する複雑な海岸線であったことが窺えた。
📄 PDFを開く
鍬の機能に関する基礎的研究
著者:樋上 昇
ページ:46-61
年:2006
概要:本稿では伊勢湾周辺地域における、弥生~古墳時代の鍬の編年作業をおこなった。さらに、これらの鍬の刃部幅・柄の装着角度を検討した結果、民具学的な機能分化には必ずしも適合しないことがわかった。おそらく弥生時代の鍬は使用者
📄 PDFを開く
古墳文化共鳴の風土
著者:赤塚次郎
ページ:62-71
年:2006
概要:弥生時代からの伝統的地域社会が、いかなる要因で前方後円墳や前方後方墳を採用し、造営していったのかという点を、特に地域社会の側に立脚して考えてみたい。前方後円(後方)墳とは、本来が弥生社会が生み出した地域型墳丘墓から出発している点を確認し、その大きさや形、墳丘テクスチャーなどはすべてそれぞれの地域社会がほぼ独自に決めてきたものであり、かつ所有しているものであると考える。したがって前方後円(後方)墳はヤマトから一元的に拡散したのではなく、すでにそれ以前に普遍化していた地域型墳丘墓から、その地域が時間をかけ選択し収斂した結果にすぎないものである。そこに王権のデザインへの共鳴現象が関与し、民族的な問題を止揚する方向性が生み出される。
📄 PDFを開く
-県内遺構・遺物集成- 石製模造品
著者:早野浩二
ページ:72-89
年:2006
概要:本稿は、県内から出土した石製模造品の集成結果を提示し、個別地域におけるそれらの展開過程の追求を目的として、若干の考察を添えたものである。考察部分においては、集落から出土した石製模造品を主要な分析対象として、それらが定着、盛行、衰退する時間的な流れを整理した。さらにこれを受けて、石製模造品(滑石製品)出土古墳の編年、石製模造品の流通と保有形態の把握に向かう見通しを示した。
📄 PDFを開く
東海地方の古代瓦塔研究ノオト
著者:永井邦仁
ページ:90-98
年:2006
概要:東海地方の古代瓦塔を製作技術の観点から考察する。そして代表的なものとして美濃須衛系、猿投窯系、東三河・遠江系を見出した。東海地方においては8世紀前葉に個性的な瓦塔がみられるが、その後8世紀中葉~後葉にかけて各須恵器窯群での一定の技術を共有した量産化が進み、9世紀前葉まで続くものと考えられる。
📄 PDFを開く
山茶碗の用途をめぐって
-摩滅痕の分析から-
著者:武部真木
ページ:99-108
年:2006
概要:東海地域に特有の中世食膳具とされてきた無釉の陶器「山茶碗」は、中世前期の膨大な消費量に対して中世後期には一転して全く流通しない地域が生じるなど地域単位でその様相は大きく変化している。ここでは山茶碗に認められる摩滅の痕跡を「使用痕」と考え、型式ごとの変化を分析することによって使用形態という視点から中世前期と後期の山茶碗の違いを抽出した。そして山茶碗は単なる「食膳具」ではなく、使用方法と山茶碗の形態変化が相互に関連してきたことを想定した。
📄 PDFを開く
郷上遺跡における戦国時代から近世にかけての集落の変遷
著者:酒井俊彦
ページ:109-121
年:2006
概要:郷上遺跡は愛知県豊田市に所在する古墳時代から近世前半にかけての遺跡である。本センターの調査で溝に囲まれた屋敷地によって構成される戦国時代から近世前半にかけての集落が確認された。この期間集落は基本部分は維持されながら、時期的な変化が認められ、本稿では調査資料、地籍図及び村絵図等の文献資料から屋敷地の成立、推移、消滅のあり方を検討し、集落の変遷について考察する。
📄 PDFを開く
地籍図・史料から見た中世の甚目寺町
著者:加藤博紀
ページ:122-127
年:2006
概要:文献・伝承・地籍図などを利用して、円覚寺蔵富田荘絵図で東北部にあたる萱津宿を中心に甚目寺町の景観復元を行う。伝承によって、絵図で描かれる寺院をすべて確認することができた。また、甚目寺町周辺は、荘園・用水系統が錯綜する地域である。それは自然地形に規制されたものであり、史料では近世前期までしかさかのぼることはできない。しかし、中世の荘園(富田荘・海東荘)の史料と考古学的知見により、鎌倉・室町の再開発期に自然地形を利用して原型が形成された可能性が指摘できる。
📄 PDFを開く
東海の結物製作の曙
-豊田市古城遺跡出土の事例から-
著者:鈴木正貴
ページ:128-134
年:2006
概要:15世紀前葉に位置づけられる豊田市古城遺跡SE01の井戸側に利用されていた結物筒の資料紹介をして、15世紀後半以降の井戸側に利用されていた結物筒と比較・検討した。この結果、古城遺跡SE01の結物筒は15世紀後半以降のものと製作技法が異なることが明らかとなり、結物が本格的に普及する以前の結物のあり方を知る貴重な資料であることを示した。
📄 PDFを開く
濃尾平野における遺跡基盤層の14C年代値
著者:鬼頭 剛
ページ:135-143
年:2006
概要:濃尾平野に位置する遺跡の基盤層から採取された試料の放射性炭素年代値についてとりまとめた。暦年代較正値(cal yrs BP)で約5000~4000年前代の値が散見され、試料全体では約3000~2000年前代が多かった。それらの数値年代と試料の標高から、濃尾平野全体では約5000~4000年前代の堆積深度は東部で浅く西部で深い、西方への傾斜がみられ、約3000~2000年前代を示す層準は平野の広範囲に確認された。年代測定については過去のデータとの比較のためにも、暦年代への変換が必要である。
📄 PDFを開く
弥生時代および古墳時代のガラス玉の化学組成
著者:堀木真美子
ページ:144-150
年:2006
概要:朝日遺跡出土のガラス玉38点の蛍光X線分析を実施。弥生時代後期と古墳時代後期の間には、ガラス玉の化学組成に大きな変化が認められた。弥生時代にはK2O-SiO2系でCuによる青色の発色を施したものと、Coによる発色の2種類が存在した。烏帽子遺跡および荒山古墳の試料にみられるように、古墳時代後期の試料ではNa2O-CaO-/Al2O3-CaO-/SiO2系のガラスが主流となっていたことが確認された。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 06 号(2005年)
AMS14C年代と考古編年
著者:鬼頭 剛・赤塚次郎
ページ:1-11
年:2005
概要: 本センターが刊行した、報告書掲載の放射性炭素年代測定データーから、特に遺構内出土遺物の内で、土器編年の対象となる資料に焦点を絞って整理することにした。古代・中世期を含めて検討すべき課題が多いが、試料の増加を踏まえると、編年研究のさらなる進展が望める。本川遺跡の遺構群とそこから得られた較正値から、継起的な遺構の変遷が読み取れる。それはまた、古墳時代前期後半期の西三河地域の土器様式(本川様式)の標識資料として位置づけられよう。
📄 PDFを開く
蛍光 X 線分析装置 XGT-5000による基本データ収集
-その1-
著者:堀木真美子
ページ:12-17
年:2005
概要:2003 年度に(株)堀場製作所製蛍光 X 線分析装置 XGT-5000XII が導入された。この装置は大気中での測定を行うため、真空中で測定を行う従来の蛍光 X 線分析装置とは測定精度が異なる。そのため、 従来の蛍光 X 線分析装置による定量分析の結果と、この装置による分析結果を直接比較することはで きない。しかし、2004 年度に豊田市荒山古墳群より出土したガラス玉の測定を行った結果、表面の調整を行うことにより大気中の測定でも、ある程度安定した測定結果を得られることが確認された。そこで XGT-5000XII を用いた測定結果であれば、充分に比較検討することが可能であると考えられることから、今回は東海市烏帽子遺跡より出土したガラス玉の測定を行った。その結果、5世紀に属すると考えられる烏帽子遺跡のガラス玉 28 点には、3種類の化学組成が確認された。また6~7世紀に属する荒山古墳より出土した 65 点でみられた化学組成ともよく似ており、化学組成ごとの個数の割合も類似しているという結果が得られた。
📄 PDFを開く
縄文時代後晩期の石鏃について
-部分磨製石鏃を中心に-
著者:川添和暁
ページ:18-33
年:2005
概要: 縄文時代の石鏃は、剥離調整による打製石鏃が主体である。しかし、剥離調整を基調としながらも、一部に研磨調整が施されている石鏃 ( 部分磨製石鏃 ) が存在することは、これまで先学により指摘されている。縄文時代早期の事例が早くから注目される一方で、後に後・晩期の事例についても知られるようになった。ここでは縄文時代中期末以降の北関東から関西地域の資料群を中心に検討を加えた。法量・研磨の志向・使用石材などの諸検討の結果、「部分磨製石鏃」は一様ではなく、7つの類型に分類され、各類型でその歴史的位置づけが必要であるとの認識に至った。
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土の魚類遺存体
著者:山崎 健・宮腰健司
ページ:34-45
年:2005
概要:朝日遺跡出土の魚類遺存体について、これまで正式に報告されていない資料(計3200点)の基礎的データを提示することを第1の目的として、若干の考察を加えて報告した。分析の結果、朝日遺跡における漁撈活動は、沖合いよりも、淡水域と沿岸域という遺跡により近い水域で行われたと考えられた。また、出土魚類組成の時期的変遷や居住域間の相違を検討した。
📄 PDFを開く
臨海の古墳時代集落
-松崎遺跡の歴史的素描-
著者:早野浩二
ページ:46-62
年:2005
概要:本稿では松崎遺跡における多品目に及ぶ遺物の類型的分析を基礎として、臨海に立地する古墳時代集落遺跡としての側面を照射した。結果、遺跡は塩生産のみならず、海産物の生産、生産用具の製作、軍事活動等が複合した多角的な生産活動によって支えられていたことを明らかとした。続けて遺跡が成立する過程の検討、遺物類型が類似する遺跡との比較、集団の社会位置の相対化を通じて、遺跡が一定の政治的意思に沿って、計画村落として成立した構図を提示した。その構図は、屯倉制・部民制を基礎とする領域・人身的な支配の前提でもあった。それらの制度によって支えられた生産体制は、古代における貢納経済を前提とした生産体制とは本質的に異なっていた。
📄 PDFを開く
古代の足助
著者:永井邦仁
ページ:63-71
年:2005
概要: 三河国賀茂郡東部地域の古代遺跡出土遺物を提示しながら山間部における生活拠点の動態を探る。それは7世紀後半の開始期、8世紀末~9世紀初頭の拡大期、9世紀後半以降の分散期を経て中世に至る。その軸として古代遺跡を結ぶようにしてのびる中馬街道の前身たる「塩の道」の存在を想定し、生活拠点の確立と密接にかかわるものと考えた。
📄 PDFを開く
鍛冶滓の金属学的分析成果の検討
-愛知県における金属器生産(8)-
著者:蔭山誠一・鈴木正貴
ページ:72-79
年:2005
概要:当センターにおいてこれまでに調査・報告された鍛冶関連資料について、金属学的分析を行った鉄滓の検討を行った。その結果、一部の鍛冶滓を除いて金属学的分類による鍛錬鍛冶滓がほとんどであり、砂鉄から精製された鉄素材を加工していた可能性が高いことを明らかにした。また、鉄滓における鉄分とガラス質成分の量比の検討から、鍛錬鍛冶工程の細分が可能であり、鉄消費地域における鉄器加工のあり方を具体化できる可能性を示した。
📄 PDFを開く
-資料紹- 瓶子窯跡出土の文字陶片
著者:武部真木
ページ:80-85
年:2005
概要:瀬戸市凧山町に所在する瓶子窯跡は、近世の茶入を多く焼成した窯跡として古くから存在が知られている。この窯跡の物原部分について発掘調査を行ったところ、文字を有する小陶片が多数出土した。近世の窯業遺跡に限らずほとんど類例のない出土遺物であり、しかも文字の多くが「人名」と判断できるなど極めて特殊な資料であることがわかった。生産工程上での陶片の役割をはじめ、瓶子窯跡の操業時に結び付く人物の特定など調査はまだ端緒についたばかりではあるが、瓶子窯跡の解明のみならず茶陶生産に関わる重要な史料の発見と考え、報告書刊行に先立ち概要を紹介しておく。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 05 号(2004年)
「道具」からみる縄文晩期の生業について
-根挟みを中心に-
著者:川添和暁
ページ:1-14
年:2004
概要:今回、食料獲得活動の立場で文化総体を検討する視点から、生業に使われたとされる根挟みについて総合的検討を行った。列島的視点からの分析を行い、従来からいわれてきたものとは別視点から、地域差を指摘した。さらに欠損・製作・再加工の状況を整理し、鹿角製品の製作状況を総体的に研究する必要を述べた。また、対応する石鏃については東北地域・東海地域を個別に分析し、東海地域では特に部分磨製石鏃の存在に注目した。これらから派生する問題を整理しつつ、最後に根挟みの機能について想定を行った。
📄 PDFを開く
弥生集落史の地平 その2
-凹線紋系土器期以前の弥生中期-
著者:石黒立人
ページ:15-28
年:2004
概要:弥生時代の集落をどのように捉えるのか。小論では弥生中期前半に時期を限って、まず基本単位を抽出し、その複合のありかたから極大型・大型・中型・小形・極小型に類型区分を行った。そして拠点・集住などいくつかの概念を検討し、最後に極大型を軸に変遷の見通しを述べた。
📄 PDFを開く
西尾市古新田遺跡出土瓦の再検討
-胎土分析の結果から-
著者:小嶋廣也
ページ:29-46
年:2004
概要:古新田遺跡は、愛知県西尾市志貴野町宮前に所在する古代から中世にかけての複合遺跡である。矢作川と矢作古川の分岐点付近の矢作川左岸に位置している。遺物に凹面に布目痕の残る瓦が多く出土した。この矢作川流域には多くの古代寺院跡や瓦窯跡が知られており、本遺跡のすぐ南側に「志貴野廃寺」推定地や大郷瓦窯跡が位置している。報告書作成に際しこれらの瓦との比較検討をするために胎土分析を行ったが、時間的余裕がなく分析結果を十分に検討することができなかった。今回良き機会を得て分析結果をもう一度見直すことができた。小稿によって分析を行った各寺院跡・瓦窯跡を見ていくことで、古新田遺跡から出土した古代瓦について考えてみたいと思う。
📄 PDFを開く
清須城下町における銅製品生産
-愛知県における金属製品生産(7)-
著者:鈴木正貴・蔭山誠一
ページ:47-62
年:2004
概要:『清洲城下町遺跡VIII』(宮腰・鈴木編 2002)に報告された銅製品関連遺物を中心に分析することにより、戦国時代から江戸時代初期における清須城下町内で行われた銅製品生産の検討を行った。この結果、本町西部地区の城下町期後期(17 世紀初頭)の短冊型地割の町屋推定地の一角で小型の銅製品が鋳造されていた可能性が考えられた。そこでは、坩堝または取鍋の出土量の多さと何度も用いられたと思われる使用痕跡からみて、常住した銅細工職人の存在を想定した。また、製作された製品の大きさには多少のバラエティーがある可能性も指摘することができた。
📄 PDFを開く
尾張国冨田荘の考古学的研究
-成願寺を中心として-
著者:中・近世研究部会
ページ:63-78
年:2004
概要: 愛知県下の中世集落研究を進めるため、円覚寺に残る『尾張国冨田荘』絵図に描かれた地域の考古学的分析を中心に検討を行った。具体的には尾張国冨田荘の絵図において中心的部分と考えられる「成願寺」付近の地域についての実地踏査、地籍図の分析、地質学的検討を踏まえ、絵図に描かれた河道・道・地名・建物の地籍図における位置の推定を試みた。その結果、絵図に描かれた「成願寺」の位置をおおまかに特定するに至った。
📄 PDFを開く
考古学と地質学間に生じた層序認識の違いとその原因
-地質学研究者の視点から-
著者:鬼頭 剛
ページ:79-88
年:2004
概要:考古学と地質学は地層をあつかう歴史科学分野でありながら、層序についての認識には差異が生じてしまっている。考古学と地質学、それぞれの層序に関する歴史を比較して、地質学研究者の目からその原因を考察した。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 04 号(2003年)
名古屋市守山区牛牧遺跡立会調査概要報告
(付載 春日井市松河戸遺跡出土琥珀製品について)
著者:川添和暁
ページ:1-9
年:2003
概要:名古屋市守山区牛牧遺跡では今まで知られていなかった縄文時代後期前半期の包含層が確認された。この概要を報告するとともに、今回の発見の意味について若干の考察を加える。また、付載として、春日井市松河戸遺跡出土の琥珀製品についても報告をしていく。
📄 PDFを開く
春日井市勝川遺跡出土木製品の再検討
著者:樋上 昇
ページ:10-33
年:2003
概要:春日井市勝川遺跡は濃尾平野東部の庄内川中流域に所在する弥生中期~江戸時代の遺跡である。この遺跡からは弥生中期後葉、弥生後期~古墳前期初頭、5世紀後半、8世紀後半、9世紀後半~10世紀の5時期におよぶ木製品378点が出土している。このうち、既報告分は132点で、残り246点は未報告のまま収蔵されている。この未報告分の木製品のうち、26点を実測し、既報告分の樹種同定結果とあわせて報告した。さらに遺跡の立地、遺構、各時期の器種組成・樹種を検討した結果、弥生中期~5世紀後半の勝川遺跡は集落が営まれた洪積台地上に豊富にあったブナ科主体の広葉樹材を伐採・加工し、他の集落への供給もおこなう、庄内川流域における木材流通の拠点的な性格を担っていたと推定した。
📄 PDFを開く
八王子古宮式と近江湖南型甕
著者:矢作健二・赤塚次郎
ページ:34-44
年:2003
概要:一宮市八王子遺跡出土土器を基本として、弥生後期前葉の土器様式を「八王子古宮式」として設定した経緯がある。八王子古宮式とは、近江湖南様式を中心として成立した土器様式を主体とするものである。ここでは八王子古宮式期の湖南型甕の胎土分析結果を報告し、その成果を基にした考古学的な評価を考えてみたい。胎土分析は、滋賀県守山市域の代表的な遺跡出土の湖南型甕との比較を通じて実施し、結果として一宮市八王子遺跡出土の湖南型甕には、「野洲川流域」と「中南伊勢地域」と大きく2つのまとまりが存在する可能性が指摘できた。伊勢湾沿岸部における弥生後期前葉の地域社会の変貌を考える時に、野洲川流域からの直接的な土器の搬入を前提とした議論が必要であり、それはより広域的な社会変動を予見させる動きと考えたい。
📄 PDFを開く
焼台からみた鶯窯跡
著者:小澤一弘
ページ:45-56
年:2003
概要:鶯窯跡は室町時代の瀬戸窯を代表する窯で、窯業遺跡のなかでも編年資料の標識遺跡として知られている。鶯窯跡出土の焼台の検討から、鶯窯における窯詰め方法を想定し復元を試み、操業回数、操業年数を導いたものである。操業年数の是非に関しては、今後の遺物の分析などをまたなければならないが、焼台の分析からは、操業回数は 312 回、1 年に 3 回操業の場合は 104 年、4 回操業の場合は 78 年、5 回操業の場合は 62 年となった。
📄 PDFを開く
豊田市郷上遺跡出土井戸材の樹種について
著者:鈴木正貴・堀木真美子
ページ:57-72
年:2003
概要:愛知県豊田市所在の郷上遺跡で確認された 13 世紀から 18 世紀に属する井戸について再検討を行った。従来の井戸側の分類に加えて、その材の樹種同定を行うことにより、以下の 3 点を明らかにした。1)1基の井戸では同一樹種のみが利用される場合が多く、複数種が利用された井戸についても様々な背景が考えられる。2)井戸の変遷は 2 期に大別され、両時期ともヒノキ属が優先的に利用された段階からスギやマツ属なども加えた多様な樹種が利用された段階に変化した。3)利用頻度が多いヒノキ属の供給地は矢作川流域や愛知県東部、木曽川水系など様々な可能性が考えられる。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 03 号(2002年)
遺構からみた那古野城の残影
著者:松田 訓
ページ:1-12
年:2002
概要:名古屋城三の丸遺跡の調査では、事例の積み重ねによって近世の遺構のみならず、戦国時代の遺構が複数の地点で確認され、那古野城との関連が指摘されている。ここでは、これまで実体としてほとんどとらえられていなかった戦国時代の那古野城について、発掘調査によって検出された当該期の溝を資料として、分析と復元を試みる。まず、各調査地点の那古野城存立時期溝について、その時期と方位を検出地点によって比較し、その変化を整理することによって那古野城の変遷動向を推察すべく努力した。具体的には、各溝の時期を3期に区分し、方位を2群に大別することによって、どの空間が、どの時期に、どちらの方向を向いた溝を掘削しているのかを整理した。この作業により、方位を合わせて築城された那古野城が、周辺の築城当時正方位ではなく構成された空間を、その規模の拡張に伴って正方位の空間として取り込んでいったと推察する結果を得た。
📄 PDFを開く
愛知県における鉄器生産を考える(6)
-鍛冶に伴う礫-
著者:蔭山誠一・堀木真美子・鈴木正貴
ページ:13-22
年:2002
概要:鍛冶工房・工人の操業スタイルを考える上で、鉄滓等の鍛冶関連資料と伴出することのある角礫について注目した。すでに当センターにて調査・報告されている稲沢市大縄遺跡・長久手町岩作城跡・佐織町川田遺跡から出土した礫について、礫の出土状況、石材の種類・形状・大きさを分析し、その特徴を明らかにした。また、川田遺跡出土の鉄床石について紹介し、今回分析した角礫と鍛冶関連資料との関連を指摘した。
📄 PDFを開く
下懸遺跡出土の木簡
著者:池本正明・福岡猛志
ページ:23-30
年:2002
概要:下懸遺跡は、愛知県安城市桜井町に所在する弥生時代終末期から古墳時代前期を中心とする集落遺跡である。調査では、弥生時代終末期から古墳時代前期の居住域と、その外縁部に展開する谷地形が確認されている。本稿で資料紹介する木簡は、谷地形の上層から1点単独で出土したものである。釈文は一面が「春春春秋秋尚尚書書律」、その裏面が「令令文文□□是(カ)是人」となる。四書五経の題目などを墨書したいわゆる習書木簡である。習書木簡ではあるが、記載された内容が律令官人と関わりが窺える興味深い資料といえる。本稿では、木簡の資料紹介を主題とする。周辺の状況、伴出資料の検討から、木簡の帰属時期を推定し、記載内容についての検討を加える。
📄 PDFを開く
尾張西部における中世末から近世の非ロクロ成形土師皿の諸様相
著者:佐藤公保
ページ:31-40
年:2002
概要:尾張では古代までは「皿」は主に須恵器・灰釉陶器であった。中世になると土師器の「皿」が出現し、中世後期になり、その量は激増する。そうした土師皿のなかには非ロクロ成形とロクロ成形のものがあり、前者は「ハレ」・「ケ」の場で主に使用されたと考えられる。中世に出現した非ロクロ成形土師皿は近世になると、大きく姿を変えていくことになる。
📄 PDFを開く
三本松遺跡出土の土器埋設遺構について
著者:川添和暁
ページ:41-48
年:2002
概要:平成 13 年度に刊行された『牛牧遺跡』のなかで、縄文晩期土器棺墓の検討に対して、遺構としての検討を行う視点での報告を行った。今後、縄文時代後期の「埋設土器」をはじめとする土器埋設遺構に関して、比較検討をする必要性が生じてくる。そのための基礎データーを蓄積するための一視点を提示したい。なお、この小論では、すでに報告がなされている遺跡に対して、どこまで埋納形態・過程を検証することができるのか,という一事例でもある。
📄 PDFを開く
銅鐸に伴う「舌」について
著者:服部信博
ページ:49-56
年:2002
概要:弥生時代を代表する遺物は何といっても銅鐸であろう。銅鐸はその形状からみて青銅製のベルであり、金属音を発する祭器としての性格を持つ。しかし銅鐸本体のみでは音を発することはできず、当然内面突帯と触れ合う舌が必要になる。銅鐸と舌はセット関係にあった。しかし、現在までに、銅鐸本体は全国で 500 例近くの出土が報告されているのに対し、舌に関しては、出土例が極めて少なく、その実体はほとんど不明であった。今回、全国から出土した舌及び舌状石製品を集成し検討してみた。現状で確認できる舌には、青銅製のものと石製のものが存在し、青銅製舌に関しては、初期の銅鐸に伴い、銅鐸鋳造時に併せて舌も鋳造されていた可能性を、石製舌については使用痕の有無によって弥生中期と後期で大きく変化することを指摘することができた。また、舌の出土状況についても若干の検討を加えてみた。
📄 PDFを開く
尾張低地部における小規模古墳の様相
著者:宮腰健司
ページ:57-67
年:2002
概要:朝日遺跡は弥生時代の環濠集落として著名であるが、その後の古墳時代中期~後期にも墳墓が存在する。本文では、この朝日遺跡の古墳と須恵器・土師器の分布を検討し、遺構が検出された中央部以外にも西部に古墳が存在する可能性があること、またそれらの造営に際しては、前時代の埋没しきらない方形周溝墓群の痕跡を意識して造られていること、数基単位で構成され群集しないことを指摘した。さらに、このような様相を見せる小規模古墳が尾張低地部では一般的であることを述べ、墳墓への埋葬以外に墳丘やその痕跡である高まりへの祭祀が行われていた可能性を示唆している。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 02 号(2001年)
松河戸・宇田様式の再編
著者:赤塚次郎・早野浩二
ページ:13-32
年:2001
概要:これまで具体的内容が不分明であった松河戸様式後半期から(仮称)宇田様式までの土師器の編年を提 示する。まず志賀公園遺跡における良好な一括資料を主に用いて時期区分を行い、画期を導き出した。そ のうえで松河戸II式を2段階に区分し、後続する様式を宇田I・II式、儀長式として再編する見通しを得 た。さらに須恵器編年との関係についても整理した。これらは5世紀の社会像をえがく大きな足がかりと なる。
📄 PDFを開く
愛知県における鉄器生産を考える(5)
-鉄さいに付着する白い石-
著者:蔭山誠一・鈴木正貴・堀木真美子
ページ:67-80
年:2001
概要:当センターの調査報告された、勝川遺跡、松河戸遺跡の金属関連資料の整理・分析し、分析の中で鍛冶に伴って排出される鉄さい中に含まれる石材についてこれまで分析した遺跡の資料を含めて検討を行った。その結果、石材はチャートと長石にほぼ限られ、鍛冶炉の上から少量入れられることを指摘した。また、石材の付着する鉄さいの観察から、石材が入れられる段階は鍛錬鍛冶により高温になる工程で行われたことを明らかにした。
📄 PDFを開く
「棒状鹿角製品」小考
-朝日遺跡出土新資料の位置付け-
著者:川添和暁
ページ:1-12
年:2001
概要:縄文時代中期から弥生時代の長期にわたって見られる精神文化の遺物として、「有鉤短剣」、「棒状加工品・叉状加工品・長叉状加工品」などと呼ばれている遺物が知られている。これらを体系づけた研究は、すでに春成秀爾によってなされてる(春成1985)。その中でも今回は春成の「棒状短剣」、金子浩昌の「棒状加工品」と呼称しているもので鹿角製のものに関して特に「棒状鹿角製品」として取り上げる。中心と するのは棒状鹿角製品が特殊な発展を遂げた、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけての資料である。朝 日遺跡99年度調査では、弥生時代貝田町式とされる貝層から、変形工字文を持つ当該資料の出土を見た。 この遺物の出土の意味を探っていきたい。
📄 PDFを開く
古代「三河型甕」考
著者:北村和宏
ページ:33-40
年:2001
概要:愛知県下の奈良・平安時代の遺跡を発掘調査すると、旧三河国域を中心に「三河型」甕、清郷型鍋などと呼称される独特の土師器甕が数多く出土する。この小稿ではこれらの土師器甕を一連のものとして捉え直し「三河型甕」と総称し、その型式分類・編年を行なった上で、その出土遺跡の分布について整理・検討を加えた。その結果、8~9世紀代においては三河国の国境を境に排他的な分布を示し(第I段階)、10~11世紀代になると周辺諸国へと分布域が拡大する(第II段階)ことが知られた。そしてその時期別の分布が意味するところについて、第I段階については三河型甕の生産・流通に“三河国”の関与を想定し、第II段階への変移については、隣接する猿投窯などの窯業生産の動向を勘案し、10世紀初頭を機に大きく転換する新しい律令国家の地方支配方式の確立がその背景にあるのではないかと推察した。
📄 PDFを開く
建物方位でみる西三河の古代集落
著者:永井邦仁
ページ:41-50
年:2001
概要:西三河地域の矢作川流域の段丘上では、竪穴建物主体の集落が、7 世紀代に入ってから一気に拡大する傾向にある。小論では、集落を構成する建物の主軸方向を鍵に、建物群の分析を試みる。そして7世紀後半を中心とする時期に、それ以前とは異なる建物の方位規制が一部の集落に持ち込まれたと想定する。
📄 PDFを開く
尾張の拠点城館遺跡出土の瀬戸美濃窯産陶器
-時期別組成の分析を中心に-
著者:鈴木正貴
ページ:51-66
年:2001
概要:清洲城下町遺跡、岩倉城遺跡、小牧山城関連遺跡群の各遺跡から出土した遺物組成の再検討を行った。特にここでは、各遺跡から出土した瀬戸美濃窯産陶器に着目し、藤澤良祐氏の編年観で同定作業を行い、主要遺構の時期別組成などを算出した。この結果、遺跡や遺構に固有に確認される年代よりも前段階の遺物の出土量が多いことが明らかとなった。そして出土量の多い遺物で各遺跡の変遷を改めて検討すると、明瞭な形で1前期清須と岩倉の段階、2小牧の段階、3後期清須の段階(天正地震前)、4後期清須の段階(天正地震後)と分けることができると推論した。尾張における拠点的な城館遺跡の移動状況を考古学的に把握することができたと同時に、大窯編年から遺跡や遺構の年代を解釈する際には様々な問題点を孕んでいることが予見された。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第 01 号(2000年)
東海地方の鳥形木製品
-本川遺跡出土例の検討-
著者:飴谷 一・佐藤公保
ページ:9-18
年:2000
概要:豊田市に所在する本川遺跡では、平成10年度に発掘調査を実施した調査区から古墳時代中期に属する鳥形木製品が出土した。写実的に表現されたこの木製品は、「胴部両側面に12ヶ所、上面に2ヶ所、計14ヶ所に小孔が見られる」・「腹部が浅く刳り抜かれている」という、他の遺跡の出土例には見られない2つの特徴を持つ。
📄 PDFを開く
豊田地区出土の木製品について
著者:樋上 昇・永井邦仁・木川正夫
ページ:19-28
年:2000
概要:平成10・11 年度にかけて発掘調査をおこなった豊田市本川・水入の両遺跡から、5世紀前半代を中心とする木製品が出土した。これらは当該期の資料としては愛知県内でも数少ないものである。特に曲柄平鍬・二又鍬・三又鍬は伊勢湾型の終末期にあたるものとして、古墳時代前期と中期の木製品の形態・組成をつなぐきわめて貴重な資料である。
📄 PDFを開く
『年貢割附状』からみた江戸時代の災害
‐明和4年亥年の水害と碧海郡西鴛鴨村‐
著者:加藤博紀
ページ:63-76
年:2000
概要:江戸時代後期は火山噴火や冷害による飢饉など天災が相次いだ時代である。西三河にても例外ではなく、矢作川水系の水害に苦しめられつづけた。矢作川扇状地上にある碧海郡西鴛鴨村はその甚大な被害をこうむった村の一つである。江戸時代随一の水害・明和4年亥年の水害は、西鴛鴨村の生活の根本を揺るがした。農地を中心とする被災状況は、豊田市鴛鴨町に伝存する「年貢割附状」などの近世文書から知ることができる。この文書から、被災状況の他、復興への足取り、代官側の対応などやも知ることができた。また尾張藩内の諸村とも比較を行い、明和4年亥年の水害の影響範囲も検討した。?r?nしかし、代官農民ともどもの努力にも関わらず、被害は大きかった。特に水田は最終的に水害前の半分程度しか復興することができなかった。
📄 PDFを開く
三河地域の中世集落
-室遺跡再考-
著者:川井啓介
ページ:45-56
年:2000
概要:三河地域南部、矢作古川の下流域に位置し、中世集落が確認されている室遺跡、牛ノ松遺跡、八ツ面北部遺跡を比較検討することにより、遺跡の“地域的理解”のための分析を行った。分析手段は遺物の時期別カウントから導き出される遺物組成の読み取りと、歴史的環境からの関連性の解明である。その結果、室遺跡では従来不明であった12 世紀の集落の範囲を特定し、14 世紀以降集落が均質的屋敷地の集合体へ変質することが明らかとなった。同様に、牛ノ松遺跡は廃絶へ、八ツ面北部遺跡では区画溝の成立へ、という変革期が14 世紀に認められた。そして、室遺跡は蘇美御厨を背景として成立した交通の要所に位置する都市的性格を持つ遺跡、牛ノ松遺跡は御厨の中心的集落(屋敷地)であり、八ツ面北部遺跡は一般的農村風景の中に展開する屋敷地であることを指摘した。
📄 PDFを開く
愛知県の縄文遺跡(1)
尾張北部地域について
著者:川添和暁
ページ:1-8
年:2000
概要:愛知県内の縄文時代遺跡について、尾張地域・西三河地域・東三河地域の三地域に分けてみていきたい。その第一回目として尾張地域を取り上げる。この地域は、周辺地域に比べて縄文時代の遺跡が決して多い方ではない。しかし、近年、沖積平野上の縄文遺跡の発見がいくつかあり、また洪積台地上でも新たに縄文時代の遺跡の調査がなされている。ここでは、最近報告書が刊行された一宮市三ツ井遺跡と、発掘調査がなされた名古屋市牛牧遺跡を中心に、特に尾張北部地域について遺跡の様相を観察し、若干の考察を加えていく。
📄 PDFを開く
茶筅状竹製品の系譜
-岩倉城遺跡出土茶筅の位置づけ-
著者:木川正夫
ページ:57-62
年:2000
概要:出土竹製品や竹製民具の中に、先端を細かく裂いて茶筅状を呈する物(茶筅状竹製品)がある。茶筅やササラのように名称がついていて用途が分かっているものもあるが、出土遺物の中には用途不明のものもある。この小論では岩倉城遺跡等の出土遺物を中心に微妙な形態の違いによって、茶筅状竹製品がどのような用途に使用されうるか、また、似た用途でも歴史的にどのように形態が変化していくかを考察したい。
📄 PDFを開く
愛知県における鉄器生産を考える(4)
-朝日西遺跡を中心に-
著者:鈴木正貴・蔭山誠一
ページ:29-44
年:2000
概要:朝日西遺跡から出土した金属関連資料の分析を通じて、中世から近世までの鉄器生産の様相を考察した。この結果、鉄資料組成は8類に分類することができ、生産工程または時期的な差異が表れていることを想定した。また、椀型滓と流動滓の分類において、密度あるいは比重のデータが有効であるという可能性が高くなった。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成10年度(1999年)
『松菊里型竪穴住居』の受容と展開
 -日韓の比較から-
著者:伊藤秀紀・永井宏幸・蔭山誠一 
ページ:82-107
年:1999
📄 PDFを開く
伝法寺野田遺跡における弥生時代中期水田跡の調査
著者:早野浩二・鬼頭 剛・尾崎和美 
ページ:108-127
年:1999
📄 PDFを開く
清須城本丸付近の石垣の墨書
 -『雜賀』『孫一郎』について考える-
著者:浅井厚視 
ページ:128-139
年:1999
📄 PDFを開く
東海地方における骨角製「狩猟具」小考
著者:川添和暁 
ページ:140-149
年:1999
📄 PDFを開く
豊田市郷上遺跡出土の瓦塔
著者:永井邦仁
ページ:150-159
年:1999
📄 PDFを開く
刻骨と鋸歯状木製品に関する比較考察
著者:木川正夫 
ページ:160-181
年:1999
📄 PDFを開く
岩倉城遺跡で確認された「集石墓群」と脂肪酸分析結果について
著者:服部信博・鬼頭 剛 
ページ:182-191
年:1999
📄 PDFを開く
濃尾平野上部完新統の堆積相と堆積環境
著者:鬼頭 剛 
ページ:192-199
年:1999
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成7年度(1996年)
朝日遺跡の変遷過程を描くにあたっての二、三の問題
著者:石黒立人
ページ:80-99
年:1996
📄 PDFを開く
竪穴住居の地域性が表れる背景
ー弥生時代中期後葉における伊勢湾沿岸地域を中心にしてー
著者:蔭山誠一
ページ:104-116
年:1996
📄 PDFを開く
濃尾平野における布留式甕について
ー門間沼遺跡94Cb区SD15出土土器を中心としてー
著者:早野浩二
ページ:118-127
年:1996
📄 PDFを開く
古代大毛遺跡を考える
著者:小川芳範
ページ:128-137
年:1996
📄 PDFを開く
清郷型鍋再考
著者:永井宏幸
ページ:138-153
年:1996
📄 PDFを開く
尾張平野における鎌倉・室町時代の煮沸具の編年
著者:北村和宏
ページ:154-169
年:1996
📄 PDFを開く
大毛池田遺跡・門間沼遺跡に見られる近世のハザ遺構
著者:西原正佳
ページ:170-175
年:1996
📄 PDFを開く
濃尾平野における歴史時代の地震痕
ーその4ー
著者:服部俊之
ページ:176-181
年:1996
📄 PDFを開く
堆積物からみた濃尾平野の古池埋変遷
その1
著者:鬼頭 剛
ページ:182-191
年:1996
📄 PDFを開く
八王子遺跡95Aa区SK99・100について
著者:飴谷 一
ページ:100-103
年:1995
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成6年度(1995年)
<資料紹介>名古屋城三の丸遺跡の旧石器
著者:都築暢也
ページ:66-67
年:1995
📄 PDFを開く
弥生集落史の地平
ー地域社会への接近をめざしてー
著者:石黒立人
ページ:68-77
年:1995
📄 PDFを開く
尾張の一地域における古墳時代後半期の古墳
ー富塚古墳の墳丘測量結果を基にしてー
著者:牧 謙治
ページ:78-87
年:1995
📄 PDFを開く
美濃刻印須恵器からみた大毛池田遺跡
ーその1ー
著者:小川芳範
ページ:88-97
年:1995
📄 PDFを開く
奈良・平安時代の土師器甕について
〜大毛池田・沖遺跡出土資料を中心に〜
著者:永井宏幸
ページ:98-105
年:1995
📄 PDFを開く
大毛沖遺跡出土の墨書陶器
著者:小池一徳
ページ:106-113
年:1995
📄 PDFを開く
田所大溝とその周辺
著者:増澤 徹
ページ:114-121
年:1995
📄 PDFを開く
大毛池田遺跡出土の土師器皿について
ー94J区出土遺物の検討ー
著者:北條真木
ページ:122-127
年:1995
📄 PDFを開く
濃尾平野北西部、大毛池田遺跡の古墳時代前期埋没水田について
著者:鬼頭 剛
ページ:128-135
年:1995
📄 PDFを開く
濃尾平野における歴史時代の地震痕
ーその3ー
著者:服部俊之
ページ:136-146
年:1995
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成5年度(1994年)
伊勢湾周辺地域の磨製石包丁、若しくはその象徴性
著者:加藤安信
ページ:104-117
年:1994
📄 PDFを開く
愛知県の弥生時代石器をめぐる基礎的研究
著者:永井宏幸・原田 幹・石黒立人
ページ:118-127
年:1994
📄 PDFを開く
大毛池田遺跡93B区SX10、NR02出土の遺物について
著者:北條真木
ページ:128-133
年:1994
📄 PDFを開く
濃尾平野における歴史時代の地震痕
ーその2ー
著者:服部俊之
ページ:134-142
年:1994
📄 PDFを開く
航空写真を利用した自然地形分類と遺跡の立地
著者:鬼頭 剛・服部信博
ページ:143-152
年:1994
📄 PDFを開く
愛知県西尾市清水遺跡から出土したカメの遺体について
ーなぜニホンイシガメのメスが多く出土するのか?ー
著者:矢部 隆・堀木真美子
ページ:153-161
年:1994
📄 PDFを開く
考古学的報・論文における引用文献、参考文献、註(注)
著者:加藤安信
ページ:162-167
年:1994
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成4年度(1993年)
居館と囲郭集落のあいだ
伊勢湾地方を中心として
著者:石黒立人
ページ:78-88
年:1993
📄 PDFを開く
古代尾張をめぐる若干の問題
著者:服部信博
ページ:89-96
年:1993
📄 PDFを開く
尾張猿投窯と尾北窯
〜飛鳥時代に見られる須恵器生産の様相〜
著者:城ヶ谷和広
ページ:97-110
年:1993
📄 PDFを開く
三河地域出土の土師器皿について
著者:川井啓介
ページ:111-125
年:1993
📄 PDFを開く
濃尾平野における歴史時代の地震痕
著者:服部俊之
ページ:126-136
年:1993
📄 PDFを開く
朝日遺跡で検出された弥生時代後期竪穴住居覆土のプラントオパール分析について
著者:都築暢也・服部俊之・石黒立人
ページ:137-140
年:1993
📄 PDFを開く
自然科学分析データの活用その1-花粉分析と樹種同定-
著者:楯真美子・中垣内薫・服部俊之
ページ:141-153
年:1993
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成2年度(1991年)
古代尾張の土師器
〜6世紀後半から11世紀の様相〜
著者:城ヶ谷和広
ページ:92-110
年:1991
📄 PDFを開く
天正地震下層の出土遺物
清洲城下町遺跡90D区出土遺物の検討
著者:鈴木正貴
ページ:111-122
年:1991
📄 PDFを開く
清水遺跡出土の鉄滓と三州平坂鋳物師
著者:尾野善裕
ページ:123-127
年:1991
📄 PDFを開く
一宮市山中遺跡出土の石器について
著者:金子健一
ページ:128-133
年:1991
📄 PDFを開く
岩倉城遺跡下層の遺構と遺物
-平成元年度調査を中心として-
著者:服部信博
ページ:134-147
年:1991
📄 PDFを開く
岩倉城跡出土の陶磁器
著者:松原隆治
ページ:148-158
年:1991
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 平成元年度(1990年)
朝日遺跡出土の金属器鋳造関連遺物について
著者:石黒立人・野口哲也
ページ:72-76
年:1990
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土の骨角器
著者:宮腰健司
ページ:77-86
年:1990
📄 PDFを開く
春日井市松河戸遺跡SD120について
著者:後藤浩一・神谷友和
ページ:87-97
年:1990
📄 PDFを開く
松河戸遺跡SD105について
著者:岡本直久
ページ:98-105
年:1990
📄 PDFを開く
岩倉城遺跡下層出土の古墳時代前半期の遺構と遺物
著者:服部信博
ページ:106-117
年:1990
概要:昭和63年より発掘調査を実施している岩倉城遺跡は、戦国期の岩倉城の時代を中心とする遺跡であり、調査自体もそれを明らかにすることを主目的としてすすめられてきた。今回、五条川左岸の89Ea区下層において、新たに古墳時代前半期の遺構を確認し、それに伴う古式土師器が一括して出土した。尾張地方は、東西日本両文化圏の境界に位置し、その調査・研究動向は各時代を通して常に注目される地域といえる。しかしながら、当地方における古墳時代前半期の遺跡の調査は、僅かに清洲町廻間遺跡(注1)・稲沢市塔の越遺跡(注2)・名古屋市若葉通遺跡(注3)など数例 あるのみで、研究を進めていくうえでの資料不足の感は拭えない。そういった状況のなかで本遺跡より一括して出土した土器は、当地の古式土師器編年研究に欠くことのできない貴重な資料と考えられ、以下、調査によって判明した遺構・遺物を中心に報告していきたい。また、従来より注目されてきた西北出遺跡出土資料に関しても、調査する機会を得たので、併せて紹介していくことにする。
📄 PDFを開く
戦国城下町岩倉の復元的考察
-調査の成果と地籍図の検討から-
著者:金子健一
ページ:118-130
年:1990
概要:近年、城郭・城下町研究は、織豊期以降、近世を中心として進境著しいものがあり、各地で都市構造、地域構造の解明に大きく貢献している。その研究手法についても、発掘調査の成果はもとより、文献史料・地籍図・空中写真等、様々な方面からのアプローチが試みられ、そこから実に様々な事実が判明している。しかし、そうした中で戦国期、織豊系城郭成立前後の城郭、城下町については、近年増加の傾向にあるものの、以然、研究事例は少なく、その実態は明らかとは言い難い状況である(1)。尾張においては、信長期の清須城(2)や今回取り上げる岩倉城(3)がそれに該当するわけだが、両者とも最近ようやく解明の兆しが見えてきた段階である。そこで、一昨年度より進められてきた岩倉城の発掘調査も、本年度でその主要部を終えるため、その成果と地籍図の検討を中心に、城郭構造の復元を城 下町の景観復元も含めて考えていきたい。
📄 PDFを開く
濃尾平野周辺地域における遺跡基盤層の粒度および鉱物組成
著者:森 勇一・伊藤隆彦・楯真美子・永草康次
ページ:131-142
年:1990
概要:濃尾平野周辺地城における遺跡基盤層の粒度分析を実施することによって、遺跡の立地や地形発達、並びに地震時における地盤液状化のメカニズムについての手がかりを得ることを目的として、分析を行った。さらに、土器胎土の鉱物組成についての基礎資料を蓄積することを目標に、木曽川水系6地点26試料、庄内川水系3地点3試料、矢作川水系2地点7試料、その他3地点3試料の計39試料について、偏光顕微鏡下で砂層中の鉱物を識別し、分析した。その結果明らかになったことがらについて、ここにその概要を報告する。
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 昭和63年度(1989年)
朝日遺跡縄文時代貯蔵穴出土の植物遺体
著者:渡辺 誠
ページ:70-75
年:1989
概要:朝日遺跡
📄 PDFを開く
古生物学的にみた朝日遺跡の古環境の変遷
著者:森 勇一・伊藤隆彦
ページ:76-91
年:1989
概要:朝日遺跡 古環境
📄 PDFを開く
木製農耕具の地域色とその変遷
-勝川遺跡出土資料を中心として-
著者:樋上 昇
ページ:92-125
年:1989
概要:勝川遺跡 木製品 農耕具
📄 PDFを開く
三の丸遺跡出土の奈良・平安時代土器
-尾張の集落址における様相-
著者:城ヶ谷和広
ページ:126-135
年:1989
概要:名古屋城三の丸遺跡 
📄 PDFを開く
年輪年代法による清洲城下町遺跡・勝川遺跡出土木製品の年代測定について
著者:光谷拓実
ページ:136-143
年:1989
概要:清洲城下町遺跡 勝川遺跡 年輪年代法 木瀬品
📄 PDFを開く
五条川流域における「下呂石」の分布について
著者:飴谷 一
ページ:144-149
年:1989
概要:下呂石
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土の動物依存体
著者:宮腰健司・佐藤 治
ページ:150-157
年:1989
概要:朝日遺跡 動物依存体 獣骨
📄 PDFを開く
清洲城下町遺跡出土の井戸桶に関する考察
著者:鈴木正貴
ページ:158-168
年:1989
概要:清洲城下町遺跡 井戸桶
📄 PDFを開く
愛知県埋蔵文化財センター 年報 昭和62年度(1988年)
朝日遺跡貝層ブロック・サンプリングの調査報告
著者:渡辺 誠・田中禎子
ページ:92-117
年:1988
概要:朝日遺跡 貝層
📄 PDFを開く
勝川遺跡及びその周辺地域から産した昆虫化石と古環境
著者:森 勇一
ページ:118-137
年:1988
概要:勝川遺跡 昆虫遺体 古環境
📄 PDFを開く
伊勢湾地方から見た近江系土器 
-とくに弥生中期をめぐっての断想-
著者:石黒立人
ページ:138-147
年:1988
概要:近江系土器 弥生時代中期
📄 PDFを開く
朝日遺跡の異形土器について 
-鳥形土器を考えるにあたって-
著者:飴谷 一
ページ:148-156
年:1988
概要:朝日遺跡 鳥形土器
📄 PDFを開く
清洲宿についての一考察
著者:中野良法
ページ:164-170
年:1988
概要:清洲宿 清洲城下町遺跡
📄 PDFを開く
朝日遺跡出土の外来系土器について―2―
著者:宮腰健司
ページ:157-163
年:1988
概要:朝日遺跡 外来系土器
📄 PDFを開く